人魚姫
「そりゃ辛いやろうな、あんたも所詮は1人の人魚の娘やもんな。好きな男がおるのに、親の決めた男と結婚せなあかんようなもんやもんな。泣きたいんやったら思いっきり泣きや」
琉海はかぶりを振った。
みんな同じ想いをしてきたのだ。
自分だけびーびー泣くわけにはいかない。
「強いな、さすが伝説の姫やな。でもそんなに強くあらんでもいいんやで、好きなもんは好きなんや、こればっかりはどうしようもないことやからな。好きになったらあかん相手を好きになってもいいんや」
「あたしどうしたらいい?」
「そのままでいい、それに」
医者は何か言いかけて口をつぐんだ。
薄いがまだ十分残っている白髪が扇風機の風で揺れた。
通った鼻筋に形のよい唇——この口から吐き出される言葉は荒いが——深めの彫りの奥からのぞく鋭い眼孔。
若い頃はさぞかしイケメンだったに違いない。
「ねぇ、お爺さんが好きになった人魚はどんな人魚?」
ここを紹介してくれたのは誰だったか。
色気ムンムンの年齢不詳の美魔女人魚。
もしかして。
「海のドクターやないで、ボインは好きやけど」
町医者は遠い目をして窓の外を見た。
まるでそこに海が広がっているかのように。
「深海の魔女や」
「深海の魔女!」
「そうや」
深海の魔女は年老いたお婆さん人魚じゃないのか?
琉海がそれを言うと町医者は「とんんでもない」と笑った。
深海の魔女はその肌も髪も瞳も全てが透けるように白く、とても美しい人魚だという。
「あれを最初見たときは空から落ちてきた天女かと思うたわ」
「お爺さんは腰抜かしたり、滅多打ちにしたり、捕まえようとは思わなかったんだ?」
「そうやな、そんなことする前に、一瞬で深海の魔女に恋してしまったなぁ」
「深海の魔女は人間になろうとはしなかったの?」
「したとも、やけどわしが止めたんや」
1年間という短い間愛し合うよりも、離れ離れでも生きていて欲しい。