人魚姫
すると誰かが、
「今日浜で見たってうちの娘が喜んどった。芸能人の誰それに似とるって前から騒いどったけん」
「この辺にはおらん感じの、なんか垢抜けた男やったけんねぇ」
こうしてはいられない、その未來とかいう男を見つけなければ。
琉海は皿の上のやきとりを全て口の中に押し込み、コップに残った焼酎でそれらを流し込むと勢いよく立ち上がった。
立ち上がった瞬間視界がぐるぐる回った。
あれよあれと言う間に世界がひっくり返り、琉海はその場に倒れた。
遠くで男たちの声がざわめく波の音のように聞こえる。
「あの姉ちゃんなんかすごかったなぁ」
琉海のテーブルを片付ける大将に漁師風の男が話しかける。
「橘さんとこのツケでって、あの姉ちゃんも大冴の知り合いやったんか」
「それにしても、最近の若いもんのファッションはよう分からん、あんな囚人服みたいなの着て」
うんうんと男たちはうなずきあった。
波の音が耳に心地よい。
男たちのざわめきはいつしか本物の波の音に変わっていた。
さっきからゆりかごで寝ているように体が揺れる。
いい匂いがした。
どこかで嗅いだことがあるように思ったが、とろけるような頭では何も思い出せない。
このままずっとこの匂いを嗅ぎながら揺られていたいと琉海は思った。
何かが琉海の額に触れた。
冷たくて気持ちいい。
その何かは琉海の額を撫で、そのまま髪をすく。
何度も何度も寄せる波がそうしているかのように優しく琉海に触れる。
ああ……。
陸の王子だ。
琉海は心の中でそう呟いた。
唇に冷たいものが触れたかと思うと隙間から口の中に流れ込んでくる。
水だった。
夏の太陽に焼けた砂浜のように琉海の体は水を欲していた。
貪るようにして琉海は喉を鳴らした。
最後の1滴まで飲み干すともっと欲しいと口を開いた。
その唇に柔らかい何かがそっと触れた。
水に濡れた琉海の唇にそれは温かく感じた。
琉海は微笑んだ。
王子のキスだ。
なんて優しい。
琉海は深い眠りの海へと沈んでいった。