人魚姫
水を浴び終わって自分の部屋に行くと琉海は部屋に1つだけある窓を開けた。
さっきまで出ていなかった月が空に浮かんでいて、目の前に広がる海を照らしていた。
海風が窓にかかっている青いカーテンを揺らす。
小さな物音がした気がして琉海は振り返る。
ベッドとその横に小さなテーブルがあるだけの何もない部屋。
テーブルの上にたたんだコートが置いてある。
琉海はコートを手に取った。
M.TACHIBANA
「もう1度会いたいな」
琉海はコートに顔をうずめた。
「あ!」
コートからさっき嗅いだ香りと同じいい香りがした。
目覚めてから琉海はすっかりそれらのことは夢だと思っていた。
「夢じゃなかったんだ」
琉海を浜辺まで運び、水を飲ませてくれたのはあの優しい男の人だったのだ。
琉海はそっと自分の唇に触れる。
「どうして……」
あの人は一体誰?
それから数日が何事もなく過ぎた。
大冴は琉海に家事の全てをさせたが、最初の日のように琉海を奴隷扱いしなかった。
水を扱う時は常にゴム手袋をはめた。
「おまえの手、弱そうだもんな」
大冴は琉海の白魚のような指を見て言った。
町にある小さな店で女物の服を琉海に選ばせた。
その帰りに薬局でハンドクリームも買ってくれた。
2人が家に戻るとドアの前に大きな荷物を抱えた男が立っていた。
「こんちわー。荷物をお届けに参りました」
琉海が先日テレビショッピングで頼んだ10台のルンバと10キロの肉だった。
「貴様〜!勝手に注文しやがって。こんなにルンバがいるか、それに10キロもの肉誰が食べるんだよ、俺は甘くない食べ物は嫌いなんだよ。返品だ返品」
結局両方とも返品不可の商品だったのだが、大冴は泣きすがる琉海を振り払って肉10キロを近くのやきとり屋に持って行ってしまった。
そして家に戻ってきて琉海をまた怒鳴る。
「貴様、勝手に俺のツケで呑み食いしやがって!」
家中を徘徊する10台のルンバ。
その1台が大冴の足にぶつかった。