人魚姫
「でも毎晩東京タワーを見ながら寝るんでしょ。あたしだったら1番好きなものを見ながら寝たいなぁ」

「そうなんだ」

 未來も大冴の寝室には入ったことがないらしかった。

「東京タワーは律が好きだったんだよ」

 少し寒くなってきたねと未來は自分のマフラーを琉海の首に巻いた。

「この前も言ったけど、大冴は今でも律のことを愛してる。そんな男のそばにいるのは辛いからやめた方がいいよ琉海ちゃん」

「大冴はずっとそうなのかな」

 律は死んでしまったのだ。

 でも死んだという言葉は使えなかった。

 まだ琉海の胸の内側で死んだのではなく自分が殺したのだという思いがぬぐいきれずにこびりついていた。

「過去の想いを精算するのは大冴が1人でやらなければいけないし、1人でなければできないんだ。それにこれは僕の持論なんだけど」

 と未來は唇の前で両手の平を合わせた。

 未来の持論はこうだった。

 一生のうちで自分が死ぬ間際に思い出すような人にそうたくさん出会えるものではない。

 ましてや恋人となると1人か多くても2〜3人。

 そんな恋が重なって訪れることはまずない。

 大切なのは時間で、どんなふうに愛していたかを忘れさせてくれるのは人じゃなくて時間なのだそうだ。

 過去が完璧な過去になった時、やっと次の恋愛をする準備ができる。

 過去が完璧な過去になるっていうのは、それを想い出した時に心が動かないということ。

 愛だけは人の心は動かせない。

 こんなことを言う人もいるかも知れない。

 でも自分は傷ついた相手の心を癒して今一緒にいる。

 または癒してくれたのが今の恋人だった。

 でも考えてごらんよ。

 今一緒にいる相手との出会いを想い出す度に、必ずその前の恋愛も想い出す。

 想い出は必ずセットになってくる。

 極端なことを言えば、一緒にいる限りずっと過去がそばに居続けることになってしまう。

 自分の心の中だけにあるものだったらとっくに忘れてしまえるものを、逆に忘れられなくなってしまう。 

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