人魚姫
匂いの先には以前ここにきた時に見た焼肉屋があった。
今日も同じように食欲をそそる匂いを店から漂わせている。
店に入ると狭い店内は半分ほど人が埋まり、赤いテーブルの中央に置かれた七輪から煙を立ち上らせている。
「お姉さん1人?」
店の奥の暖簾をくぐって出てきたのは、若い男性だった。
両手に肉の盛った皿を持っている。
空いてるとこ勝手に座っていいよ、と彼はつるりとした顎をしゃくった。
琉海は出入り口から1番近い席に腰を下ろした。
店内は古く油で汚れていたが客が触れるところはきれいに掃除されている気持ちのいい店だった。
店は男性が1人で切り盛りしているようで、客たちはみな常連なのか店の冷蔵庫から勝手にビールを出してきて飲んでいる。
「むうちゃんビール1本もらったから」
あいよーと暖簾の奥から返事が聞こえる。
琉海も他の客のまねをして冷蔵庫から冷えたビールを取り出した。
「むうちゃんビール1本もらったよ」
暖簾をくぐって出てきたむうちゃんは一瞬目を丸くしたがすぐに三日月型の目をして、あいよーと返事をした。
「お姉さん注文決まったら言ってねー」
むうちゃんは琉海の七輪にめらめらと赤い炭を入れた。
熱気が琉海の頬を撫でる。
「おススメで!」
むうちゃんは何がおかしいのか、あはっと笑った。
「あいよ」
むうちゃんの店の肉を1口食べた琉海はその美味しさに悶えた。
白くて柔らかくて絶妙な歯ごたえ。
口の中の隅々にまで甘い肉汁が広がる。
「姉さんホルモン好きだねえ」
ホルモンというのか、この美味しい肉は。
ホルモン、ホルモン、ホルモン、何があってもこの肉の名前だけは忘れないようにしよう。
3回目のホルモンのおかわりをテーブルに置いたむうちゃんはそのまま立ち去らずににこにこしながら琉海を見ている。