人魚姫
「なんだよ、じろじろ見て」
「ううん、なんでもない」
珍しくカモメのフンだらけ以外のベンチが空いて、そこに腰かける。
目の前の海が黒く揺れている。
大冴の糸はどこへ向かって伸びているんだろう。
分かるのは自分に向かってではないということだけ。
琉海は石を蹴る素ぶりをする。
見えない石が海の方に飛んでいく。
もし自分が大冴を助けなかったら、大冴に陸の王子疑惑がなかったら、大冴は未來の仲のいい男友だちとしてだけ目に映ったのだろうか。
その大冴は今の大冴と違ったりするのだろうか?
『ほんとにあんたのことが好きなんだねぇ』
むうちゃんはあんなことを言ったが、そんなはずはない。
「ねぇ、大冴は今でも死んだ彼女のことが好きだったりするんでしょ」
「当たり前だろ」
「でもその人は他の人が好きだったんでしょ」
なぜそんな意地悪なことを自分が言うのか琉海には分からなかった。
怒るかと思ったが大冴は顔色一つ変えなかった。
「未來から聞いたのかよ」
琉海はうなずく。
未來め余計なことを、と大冴は呟いた。
「おまえは相手が自分のことを好きにならないと好きにならないのかよ」
「でも寂しくない?」
「寂しいのは見返りがないと人を好きになれない奴らだろ」
大冴は他の男が好きな女と結婚しようと思っていたのだ。
自分は一生愛されないかもしれないのに。
一生肉食べ放題などという見返りを期待し恋をしようとしている琉海とは大違いだ。
しばらくの間沈黙が続いた。
波の音とそれに混じって時々カップルたちの囁き声が聞こえてくる。
それらの声に色をつけるのならどれもピンク色だ。
海を向いて置かれたベンチでピンク色じゃない会話をしているのは琉海と大冴だけだ。
「彼女のことこれからもずっと好きでいるの?ずっとずっとずぅっと、大冴がおじいさんになってもずっと?」