人魚姫
「な、なんか誰かに呼ばれた気がして」
琉海は指差した。
大冴は琉海が指差した方を一瞥すると「んなわけないだろ」と苦々しく吐き捨てた。
「つか俺も魔が差した。おまえが律に見えたなんて」
大冴は立ち上がると、あーあと伸びをした。
「あたしと彼女って似てる?」
海で顔を見たのは一瞬だった。
「全然似てない、律の方が数百倍美人だ。おまえなんか足元にも及ばないほど律は美人だった」
「でもその美人にあたし、見えたんでしょ」
大冴はそれには答えずに「帰るぞ」と背中を向けた。
「じゃあね、大冴」
琉海は手を振る。
振り返る大冴に「あたしこっちだから」と大冴とは逆の方向を指差した。
大冴は琉海がむうちゃんのところにいると知ると、眉間に深いしわを作った。
もう少しお金が貯まったら出て行くつもりだと言っても固い表情を崩さない。
「あ」
琉海はむうちゃんが言っていたことを思い出す。
「むうちゃん女だよ」
大冴の眉間のしわがもっと深くなる。
「嘘つけ」
「ほんとだよ」
「……」
「ほんとにほんとだよ」
「あんな女いるもんか」
どうしても送ると大冴が言い張るので、大冴の車に乗せてもらったが5分も走らないうちにむうちゃんの家に着いた。
「以外と普通のとこだな」
古めかしい焼肉屋と違いモダンな作りのマンションを見て、大冴も琉海が最初に思ったことと同じことを思ったようだった。
むうちゃんはまだ家に帰ってきていなかった。
琉海は部屋の明かりをつけ窓際に立った。
それを合図に路上に止めてあった大冴の車は発進した。
赤いテールランプが遠ざかっていく。
琉海はカーテンを閉めた。
さっき姉たちが琉海と大冴を海から見ていたに違いない。
きっとあの声も姉のうちの誰かだ。
あの声が聞こえなかったら琉海は大冴とキスをしていたかも知れない。
琉海は唇を噛んだ。