教育係の私が後輩から…
有馬社長の奥様に部屋へ案内されると、そこには車イス姿の有馬社長がいた。
有馬社長は数年前事故で、両足を切断し、車イス生活だと聞いていた。
七本から事前に話は聞いていたが、実際、車イスの実業家に会うのは初めてで、少し驚いている自分がいる。
この人が有馬社長…
有馬社長は、車イスになっても現役で、寧ろ、事故に合ってからは、今まで以上に現場に出て、社員を労って居ると称賛されてる。
「有馬社長、
再び御時間頂き有り難うございます。」
七本が頭を下げると有馬社長は、"誰だ?" と言わんばかりに、俺を見た。
「失礼しました。始めましてお目にかかります。
猪瀬誠一郎と申します。」
名刺を出すと、有馬社長は怪訝そうな顔して受け取った。
「まぁ座りなさい。」
「七本君、何度来てもらっても、私の返事は変わらないよ?」
「有馬社長、
もう一度お考え頂けないでしょうか?」
「猪瀬君と言ったかね?」
「はい。」
「担当者でもなく、
先輩の失敗に頭を下げる君の熱意には、
心打たれるものはある。
だが、誰が来ようと私の返事は変わらない。」
「そこをなんとか…」
土下座する七本の隣で、いつの間にか俺も土下座していた。
俺は、今まで土下座などしたことない。
その俺が土下座をしていることに、俺自身が驚いている。
その時ノックと同時にドアが開き、奥様に案内され部屋へ通されたのは、彼女だった。
「やぁ宣美! 久しぶりだね?」
宣美?…
固い表情だった社長の顔が、一瞬にして変わった。
「あなた宣美さんから、
いつもの頂きましたよ?」
有馬社長は、奥様からそう聞くと、直ぐに持ってくるように言った。
「いつもすまんね?」
「いえ、次いでですから?」
次いで?
何を彼女は持ってきたんだ?
「で、今日は泊まっていけるのかい?」
「はい。お泊まりセット持ってきました。」
社長の問いかけに彼女は着替えが入っているであろう鞄を上げて見せた。
「そうか、今夜は楽しみだ。」
「佐伯、お前!?」
社長と彼女のやり取りを、勘違いしてる七本は顔色を変えた。
あの夜の事が無かったら、俺も七本の様に勘違いしていただろう。
だが今は、七本の怒りを抑えるべきだと俺は判断した。彼女のことを知る為に。
「七本さん!」
その時、ドアがノックされ、奥様が入ってこられた。そして、既にテーブルに置かれていた、朔日餅の横に、奥様は新たな朔日餅を置いた。
え!?
どういう事だ?
同じ物を…?
社長の前だけでなく、俺達の前にも同じ朔日餅が二皿づつ置かれた。
すると有馬社長は、新たに置かれた朔日餅を嬉しそうに食べた。
え!?
勿論、俺だけじゃなく、七本も驚いていた。
「すいません。
僕達も頂いて宜しいでしょうか?」
「ああ、すまん。私だけ頂いてはいかんな?」
「いえ、社長へお持ちしたものですから…」
「うん。君達も食べなさい。美味しいよ?」
「有り難うございます。頂きます。」
何が違う…?
見た目も味も同じだ。
違うと言ったら、餅が乗った皿だけ…
同じ朔日餅じゃないのか?
隣の七本も同感なのか、首をかしげている。
俺達には微妙な味が分からないと言うのか?
「宣美さん、今夜本当に宜しいのかしら?」
「はい。私もそのつもりで来てますから?」
「やっぱり婆さんより、若くて綺麗な方が良いからな?」
「社長、奥様に失礼ですよ?」
彼女の言葉に、社長は本当の事だと笑い、奥様は慣れてますからと笑う。
「あなた、お食事は…」
「そんなもの適当に食べるから、
早く行きなさい。
宣美、私達も寝室へ行こうか?」
「社長、その前に少しお話聞いてくれますか?」
「……冬馬の事なら、話は終わってる。」
「社長、私に少しだけ、お時間下さい。」
有馬社長はため息をつくと、
「聞くだけ聞こう?」と言って彼女の話を聞いていた。
彼女の話が終ると、書類をテーブルに置き、ため息をついた。
「この条件でY社は納得したのかね?」
「はい。元々は、矢田社長の娘さんが、冬馬のファンだと言うことの、私情を挟んだ話だったそうで、今回限りとの話で、納得していただきました。有馬社長にも、ご迷惑をお掛けしたと、矢田社長も謝っておられました。」
「………」
「今回だけ、お願い出来ないでしょうか?
既にあちらは発表もしておりますので…」
彼女は深々と頭を下げた。
「分かった。
宣美にそこまで頼まれては、断れんな?
よし! 宣美の復帰祝いに、承諾しよう!」
「ありがとうございます。」
彼女は、七本に書類渡すと社へ戻って契約手続きの準備をするように言い、そして戻る次いでに、奥様を送る様に頼んだ。
その後、社長と伴に隣の部屋へと入っていった。