教育係の私が後輩から…
引き戸を開けると「らっしゃい!」と威勢のいい声が掛かる。
「生ビールと、後…いつもの」
私は店主に注文して、いつものカウンター席に座る。
「また…来てるんですか?」
私は、先に座る、見るからに上品な年配の女性に声を掛ける。
この人が来てる事は店に入る前から分かっていた。
表に綺麗に磨かれた場違いな黒塗りの車が停まっていたからだ。
「久しぶりにあんたの顔見たくてね?」
彼女の言う様に久しぶりではあるが、私の顔が見たいだけのはずは無い。
「私の顔が見たいなら、わざわざこんな汚い店に来なくても、会社で会えるじゃないですか?
掃き溜めに来れば?
いくらでもこの顔お見せしますよ?
減るもんじゃないんで?」
私の汚い店と言う言葉に店主から空かさず「汚い店で悪かったな!?」とツッコミが入る。
そのツッコミに、私は笑って "ごめん" と謝る。
「私はここのぬか漬けが、好きなのよ?」
彼女がぬか漬けを好きなのは嘘ではない。
だが、それだけでは無いだろう。
見るからに上品な服を着て、黒塗りの車で乗り付けるこの女性は、驚くことに私の会社の社長なのだ。
この人と会ったのは偶然だった。
まだ、私が就活してる時、たまたま入ったこの居酒屋で、彼女と出会ったのだ。
たまたま入った店で、たまたま隣り合わせに座り、たまたま、私が今は亡き祖母の漬けるぬか漬けが恋しいと、漏らしたのがきっかけだった。
それから何度かこの店で顔を合わせ、キクさん、ヒロさんと呼びあう、呑み友達になったのだ。
そして、入社式で彼女が社長と知った。
社長と知ってからも、私達の関係は変わることなく続いた。私達は歳は離れているが、ただの呑み友達。
会社以外では互いの立場など関係なく、お酒を酌み交わし、美味しいお店を見つけた。だの、買った服がどうとか、そしてたまに愚痴を漏らす。年は離れているが、ごく普通の女友達として接していた。
それは彼女の要望でもあったからだ。
だが、その関係が最近変わって来た。今まで無かった仕事絡みの話を、キクさんはするようになったのだ。