蜜月は始まらない
『……うそ。あの日だけじゃ、ないんでしょう?』

『そんなこと、』

『気づいてなかっただろうけど。あなたは嘘をつくとき、いっつも、右手で自分の顎を触るの』



ハッとした顔をした彼が、そのあとすぐバツの悪そうな表情をした。

そんな彼の様子を見ながら、ああやっぱり、と過去の自分が覚えた違和感を確信に変える。

本当は、ここ2ヶ月くらい、何度も引っかかることがあった。

けれど、まさかそんなはずはないと、目を逸らし続けていたのだ。

あんな形で決定打をつきつけられるなんて、思いもしてなかったけれど。



『もう、無理だよ。私はあなたと一緒にいられない』

『華乃……ごめん、悪かった。俺が全部悪いから、だから』

『「だから」? このまま許してなかったことにして、私と結婚するの? ……私そこまで、人間できてない。今許しても、この先何度も、あなたを疑ってしまう』



ここで初めて、私の目から涙がこぼれた。浮気現場を目撃したときでさえ、出てこなかったのに。

悔しかった。悲しかった。私は彼にとって、唯一無二の存在ではなかったのだ。

新卒で大手企業の社員食堂に就職し、そこで総務部の一葉ちゃんと仲良くなった。

その後彼女に誘われた飲み会に彼がいて、平凡な速度で少しずつ距離を縮め付き合い始めた。

大切だったはずの思い出が、今は色褪せて見える。

私の中で、もう彼とのことは優しくない思い出に変わってしまっていたのだろう。
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