蜜月は始まらない
◆ ◆ ◆
「はー……」
未だ寒さの残る、3月半ばの土曜日。
私はひとりダイニングチェアに腰かけ、テーブルの上のマグカップを両手で包むように持ちながら深くため息を吐いた。
ぐるりと、辺りを見回す。そこに広がる室内の光景は、今日のお昼前まで自分がいた実家とは明らかに違う、シンプルで物が少ないオシャレなものだ。
リビングダイニングにとられた大きめの窓からは、普通の戸建ての家ではまずありえない驚くほどの眺望が楽しめる。
ここは、とあるタワーマンションの30階にある一室。
柊くんがひとりで暮らしていたこの部屋に、今日から私も一緒に住み始めることになっている。
あのお見合いからは、実に1ヶ月半ほどしか経っていない。
にも関わらずここまでトントン拍子で話が進み、同居をスタートさせる今日この日を迎えてしまった。
いくら『本格的にプロ野球のシーズンが開幕する前に一緒に住み始めた方いいんじゃない?』と両家の母が言ったところで、まさか本当に実現してしまうとは……。
改めて部屋探しから取りかかる必要がなく、去年の暮れに柊くんが入居したばかりだというこの部屋に私が移り住むだけでよかったにしても、かなりタイトなスケジュールだったと思う。
今は、とりあえず一通りの荷解きを終え紅茶でひと息入れていたところだ。
大きな電化製品や家具などは持ってくる必要がなかったから、荷物はそれほど多くない。
ちなみに、土曜日である今日も職場である市立図書館は開館しているけれど、引っ越しが決まった時点でシフトを調整して休みにしていた。
閉館日の月曜や特別整理期間、年末年始を除き、パートの私は基本的に週に3~4日、9時~16時半まで勤務している。
なんだかまだ、実感がわかないな……。
見慣れない2LDKの室内を眺めながら、ぼんやりとしてしまう。
つい数時間前までは、お母さんと暮らしていた実家にいたのに。
とはいえ、ひとり娘を送り出す母はといえばあっさりしたものだった。
休みを取って荷造りや掃除を手伝ってはくれたものの、電車で1時間以内のいつでも会える距離なので感傷も何もない。