蜜月は始まらない
マイカーのある駐車場へと向かう足取りは軽い。

帰る家に、自分のことを待ってくれている人がいる。それがこんなにも浮き足立つものだということを、俺は彼女のおかげで初めて知ることができた。



「ただいま」



逸る心を抑え、あくまで安全運転で自宅マンションにたどり着いた俺は、昨日とは違い自分から帰宅の挨拶を口にした。

パタパタと家の奥からスリッパを弾ませる足音が聞こえる。

間もなく、リビングに続くドアを開けて彼女が顔を見せた。



「す……ずやくん、おかえりなさい」



ゆうべ変えたばかりの呼び名には、まだ慣れていないらしい。

目の前に来た華乃がぎこちなく俺の名前を呼び、こちらを見上げてはにかんだ。



「……ただいま、華乃」



もう一度先ほど言ったセリフを口にしつつ、じっと彼女を見つめる。

華乃は俺の無礼な視線を疑問に思いながらも逸らすことができず、首をかしげて戸惑っているようだ。



「錫也くん? どうかした……?」

「いや。なんでもない」



答えてからスニーカーを脱いで家の中に上がった。

そのままリビングに向かえば、後ろをトコトコついてくる華乃がいる。

……やっぱりやばいな、この状況。

つい緩みそうになる口もとを片手で隠す。
さっき彼女には「なんでもない」と答えたが、まさか馬鹿正直には言えないだろう。

帰って早々『風呂よりメシより先におまえを抱きしめたいと言ったらどういう反応するかな』なんて、邪なことを考えていたとは。



「えっと、今日も先にごはんにする?」

「ああ、頼む」



忙しなくキッチンとダイニングテーブルの間を行き来して、夕飯の準備をしてくれている華乃は知らない。

俺がどれだけ望んで、この同居生活までこぎつけるに至ったか。

ずっと特別だった女の子がそばにいて、今の俺がどれだけ浮かれているか。

十数年前、桜の花びらとともに俺の前へと現れたあの日から──もうずっと彼女は、俺の心の中に住み着いて離れなかった。
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