おはようからおやすみを笑顔で。
いつも通り定時で仕事を終え、駅に向かって一人歩きながら、日中に部長から言われたことをもう一度思い出す。
『警察に盗難届を出しておけよ』
言われたことはもっともだと思う。
これは立派な犯罪だ。私のお金を盗んで逃げた彼のことは私に探し出せそうにないし、警察に相談するべきだ。
……それなのに、警察に行くのは躊躇ってしまう。
聞かれたくないことまで聞かれそうだから、とかそういう保身的な理由ではない。
私は心の底で、まだ望んでいるのだ。これは何かの間違いかもしれない、って。何か深い事情があって私のお金を一時的に借りているだけで、盗んでなんかいないかもしれない、って。
……詐欺じゃないかもしれない、って。
こんな考え、愚かなのはわかってる。でも、可能性がゼロじゃない限り、警察には行きたくないと思ってしまう。警察に行ったら全てが現実になってしまうから。
それに、本当に詐欺だったら彼が捕まってしまう。
……それは嫌。
こう思うってことは、こんなことをされてもまだ、私はあの人のことが好きなんだと思う。
「……本当、バカ」
自嘲的な独り言と溜め息が思わず溢れる。
その時、スカートのポケットに入れていた私のスマホが震える。
彼からかも! と思い慌てて取り出すも、ディスプレイに表示されていたのは姉の名前だった。
少し残念な気持ちになりながらも、通話ボタンを押して「もしもし」と応える。