名取くん、気付いてないんですか?
わたしは確かさっき、さあ学校終わりだ帰ろうと肩に鞄をかけたはずだった。
リサちゃんと葵ちゃんの姿が見えなくて疑問には思っていたけど、探せばいいとあまり気にしなかったのが悪かったのかもしれない。
「おい、ついてこい」
その一言がなければ。
彼の——和久津くんの、葵ちゃんに焼きそばパンを取られた怒りとは比にならないくらいに怖い顔にビビらなければ、今ごろ平穏に帰れていたはずなのに……。
それで、どうだ? ここはどこだ?
……いやなんでファミレス。強引に連れて行かれ、今は向かい合わせで座っている。しっかりリサちゃんと葵ちゃんにも根回ししていたという用意周到ぶりで、これは相当な何かがあるな。
例えば嫌味を浴びせられたり。最近ようやくわかったけど、和久津くん、名取くん大好きだよなー。あ、わたしには負けてると思うけど。
そのせいでわたしに対していい気分じゃないみたいだし。でも、その程度の覚悟はできてるつもりだ。
「ねぇ、あのカップル雰囲気やばくない?」
「うわー、彼氏がやばいね。めっちゃ怒ってる」
こら、そこのひそひそ話してこっちを見てくるお姉さん二人、ばっちり聞こえてますよー。そもそもカップルじゃないし、彼女に対して向ける目じゃないでしょこれ。
和久津くんにも聞こえてるはずなんだけど、全く気にする様子もなくわたしを睨んでくる。ああ、そうなんだね、気にする必要もないくらいわたしに無関心なんだ。
それよりも早く用件を聞いて帰りたい。今日は帰りに名取くんからおすすめされた本を買いに行く予定だったのに、和久津くんはことごとく邪魔をしてくるなーもう。
まともに話すのもほぼ初めてなのに、いきなり一対一とか怖すぎない?
「ねぇ、和久津くん。早く……」
ピンポーン。
わたしの言葉を遮って、和久津くんは注文ボタンを押した。わざとだったのか、しれっとした表情で「なに、おまえもなんか頼むの」とメニューを差し出してくる。
いや、もうボタン押したんだから、遅いじゃん! 悩む時間もくれないの!?
確かに何も頼まずには帰られないけどさー、一言くらいあってもいいよねー?
「ご注文を伺います」
そこで綺麗なウエイトレスさんがやってきて、和久津くんに何か言うことはできなかった。
淡々と和久津くんはわたしの手にあるものとは別のメニューを広げ、ボリュームのあるハンバーグを指差して注文する。
「このデミグラスハンバーグひとつ。おまえは?」
一応わたしにも注文する権限はくれるようだ。まあ、メニューは全然見られずにいるから、スイーツすら頼めないんだけど。
「……じゃあ、りんごジュースで」
だから、メニューの背表紙で目に入った飲み物を頼んだ。
「ん、それでお願いします」
「はい、ご注文繰り返させていただきます」
……なんなの。なんかテキパキしてるし、わたしのことを邪険に扱わない和久津くんなんてすごい違和感しかない。
ていうかハンバーグって。学校帰りの寄り道なのに重くない? 家で夜ごはんは出ないの? でもライスは頼まないんだ。いやいや、肉にごはんは必要でしょ? それは揺るがないベストコンビでしょ。
ウエイトレスさんが帰って行って、さあやっと話が聞けると身構えれば、今度はスマホを取り出していじりだす和久津くん。
うわ……絶対話す気ないな。なんのために呼び出したっていうんだ。
それともあれか? つやつやデミグラスソースがかかったハンバーグをわたしの目の前に見せて、お腹を空かせようって魂胆か? そうやって嫌がらせするために呼んだのか!? 最悪だな!
先にりんごジュースが来たので、肉への欲求を紛らわせるためにストローを咥える。ついでにジト目で和久津くんのことを睨んでやった。和久津くんはスマホに夢中で、わたしのことなんて眼中にないみたいだけど。
「もう! 言いたいことがあるなら早く言って! わたし帰りたいんだけど!」
そしてついにわたしはしびれを切らして叫んでしまった。
わたしはこれから名取くんおすすめの本を買いに行く予定なのに。
もしかしたらハンバーグで食欲が湧いてきてつい注文してしまい、夜ごはんが食べられずにお母さんから怒られるかもしれない。つまり、このまま和久津くんといても良いことは何もないのだ。
和久津くんはふてくされたように頬杖をつき、細めた目でわたしを見つめてくる。背中に変な汗をかいた。なんかこれからが本番みたいな、嫌味が始まりそうな予感。
「……大和がおかしくなったのは、おまえのせいだろ」
ぼそぼそと小さく言った和久津くんの言葉は、はっきりとわたしの中に入ってくる。唐突な言葉に疑問を浮かべるのは当然で、首を傾けながらもりんごジュースの味を堪能していく。
え、なに。どういうこと。名取くんは別に、おかしくはないけど……。わたしが知らなくて和久津くんは知っている名取くんの姿があるってこと?
「なにしたんだよ、大和に」
心当たりなんてないのに、ギクリとした。それだけ和久津くんが、わたしをつらぬくような視線だったのだ。