名取くん、気付いてないんですか?
※ ※ ※
——なんだろう。見てはいけないものを見てる気がする。
今日はとても有意義な一日だったはずで、和久津くんには邪魔されないし名取くんはかっこいいしで……まあ、なんか物足りない気もしないでなかったけど。
ああ、そうか、相澤くんとあまり話せなかったからかな。
そんな平和な日常にたどり着き、ちょっぴり寂しい下校時間。最後の最後で、わたしは教室に忘れ物をしてしまった。現在、教室まであと三歩。
リサちゃんには絶対一歩も動かないように昇降口の辺りで待たせている。葵ちゃんは用事があるとかで、先に帰った。
……はず、だったんだけど。
「師匠」
わたしの視界に映る光景は、明らかにいないはずの葵ちゃんの後ろ姿を捉えているのだ。混乱も絡み合って、わたしはなぜか教室の前で動けずに、気配を消す。
「……どうしても、思い出せないんですか」
葵ちゃんの声だけど、一瞬疑うような口調。声のトーンもいつもより低くて、なんだか緊張する。
葵ちゃんの向かいには誰かいるみたいだけど、ドアが邪魔して見えない。
「私……拙者はずっと忘れないで、これも……」
葵ちゃんのシルエットが動く。後ろ姿だから何をしてるかよくわからないけど、声だけでもわかる。これは、なんかマズい雰囲気だと。
向かいの相手は何も話さない。わたしの足はやっぱり動かなくて、緊張感に呑まれそうになって壁に寄りかかった。
どうしよう。リサちゃんを待たせてるのに。このままじっとしてるわけにもいかないし、今日は諦めて帰るべきか? いや、でも……この子は絶対に葵ちゃんだし、先に帰ってなかったっていうんだからほっとけないというか……。
「……意味わかんね。俺は何も知らねぇし」
これ以上何も起こらないなら帰ろう……と踵を返そうとしたとき、ようやく葵ちゃんとは違う、死角にいる人が声を放つ。
刹那、わかってしまった。
男らしくて透き通る声色、素っ気ない口振り。それは紛れもなくわたしの頭の片隅で離れない顔と一致して、今までの葵ちゃんの行動も、全てかっちりとはまっていく。
「急になんなんだ。……変だよ、おまえ」
冷たく突き放すように言った言葉に、葵ちゃんがふらりと揺れる。近くの机にぶつかって、ひとつの手裏剣がひらりと落ちた。
青とオレンジの手裏剣。葵ちゃんが唯一ひとつだけ丁寧に扱っている手裏剣。なにかあるんだろうとは思っていたけど。まだ、はっきりとした理由は全然理解してないけど。
でも、たぶん、これは……。
教室の中から廊下へ足音が近付いてくる。わたしは反応できずに、地面を見つめたまま。
「……は、おまえのお友達、とうとうバカなこと言ってきちゃったな。…………後は、頼むぞ」
わたしに気付いて、わたしの横を通り過ぎるとき……和久津くんが囁いてきた。ほんと、彼はよくわからない。意味わかんねぇのは、和久津くんの方だ。
冷たいのか。優しいのか。今の言葉だと、葵ちゃんを心配してるように聞こえないこともない。悪態をつくだけじゃない。自分にはダメだと思った、だからわたしを頼った。
和久津くんの姿勢の良い背中を見つめて、そんなうぬぼれを考える。それから放心状態で動かない葵ちゃんを見て、教室に入った。