名取くん、気付いてないんですか?



「はぁ……今日も美しいぜ八雲さん……」



 友人は相変わらずだった。熱い吐息は八雲に向けられてはいるが、本当に彼女に対してなのかどうかはわからない。


 だってあいつは人に好かれるような性格はしていないのだから。自分の言葉を隠し、飲み込んでやり過ごす。きっと、友人に彼女の好きなところを聞けば『顔』と返ってくるだろう。


 ……でも、俺はそんな彼女に興味を抱いている。


 今朝は失敗してしまった。あんなことをするつもりではなかった。感情になんて振り回されずに、もっとスマートにあいつの言葉を待ってやるつもりだった。


 チャンスはまだある、と思う。ちゃんと謝って、本当の気持ちを伝えればまだ間に合うはずだ。


 俺は机から——昨日作った折り紙の手裏剣を取り出す。これを渡して興味が引ければ、少しは何か変わるんじゃないだろうか。


 そしたらあいつだって自信がついて、こちらからだけでなく向こうから行動できるやつになれる。


 よし——やってやる。



 下校途中、昨日と同じくあの公園にやってきた。正直望みは薄い。でも、俺はあいつの出没する場所をここしかしらないし。


 だけど、もし……俺に会いたいと思ってくれたなら、俺を見限っていなかったなら。きっと、来てくれるだろう。


 ブランコに座るとギシ、と年季の入った音。地面を蹴って揺らすと、またギシ、ギシ、と危険そうに軋み始める。



 ——まぁ、普通は来ないか。


 
 今朝の俺の態度から考えれば、俺が八雲を嫌っているようにしか感じないだろう。あいつだってわざわざ嫌われてるやつに会いになんて来ない。……自分が陰口を言われているのを知っていて、何もしないようなやつなんだから。


 ヒーローに、偽善者に、なりたいわけじゃない。俺は、あいつのことを何も知らなかったのだ。知らなかったから、勝手にイメージを植え付けて、だからあいつも下手に動けなくなった。それは、俺たちにも非があるってことなんだ。


 笑ってるやつが本当は笑われるやつだなんて、よくある話だった。



「はぁ……ダメかもな」



 明日から、同じような日々が始まる。平凡に見えて、そうあってはならない日々が。


 ブランコから降りて、公園から抜けようとして……ふと、砂場に目が留まった。昨日のまま、八雲が遊んだ形跡が残った、砂場。



 トンネルは、まだ完成していなかった。




「————あ、あの……っ」




 からからに渇いた声が、二人だけの公園に響く。


 喉に貼りついてうまく出せない声を、俺に気づかせるためだけに出した声を。



 八雲葵は、俺に会うために来てくれたのだった。





 二人で並んでブランコに座る。俺は、ズボンのポケットからそれを取り出して八雲に差し出す。



「やる」


「え……」


「手裏剣。おまえ、忍者に興味あるんだろ?」


「…………うん」



 青とオレンジの手裏剣。並べるとはっきりとするこの二色が、なぜか八雲に似合いそうな色だと思っていた。


 そしてそれは間違いでなく、両手で大切そうに持つ姿は俺の求めていた八雲葵だったのだ。


 今は、俺は八雲を嫌いじゃなくて。おどおどした姿も愛嬌に感じてしまうくらい、俺の中で何かが変わっている。もしかしたら、友人が見ていたのは八雲のこんなところだったのかもしれない。


 本当に、俺は周りのことを勝手に決め付ける男だ。



「朝は、ごめん」


「………あれは、私が悪い」


「違う。俺は自分を認め切れてなかった。八雲に関わるのをためらったんだ」



 そうだ。八雲を弱者だと思い、近付くのは間違いだと思った。


 怖かった。次の日、自分の居場所がなくなってしまうのではないか。それもこれも、八雲と関わったからだと考えてしまうのではないかと。


 目の前の八雲葵は、俺の見てきた八雲葵ではない。無口で、無表情で、つまらない。それが今までの八雲葵。


 だけど、彼女は俺のために話すし、俺に手裏剣をもらってはにかむし、俺が謝れば眉を下げて話を聞いてくれる。


 もっと、本当の八雲葵を知りたい。



「………じゃあ、おあいこってことで」



 だけど八雲がそんなことを言うから、少し胸が苦しくなった。



「のんき……だな。俺、昨日までおまえのこと嫌いだったんだけど」


「うん」


「うんって……」


「だって……嬉しかったから」


「……何が」



 今まで地面に合わせていた目をちら、と八雲に移す。凛とした目は俺だけを見つめていて、どきりとした。


 日は沈みかけている。夕日に照らされ、薄く笑みを浮かべる八雲葵。その二つは引き立てあい……美しかった。




「意味もなく、話しかけてくれる人がいるんだなって思ったの」




 彼女のはっきりとした声は俺の鼓膜を揺らす。



「は……? い、意味わからないし」



 乾いた笑いしかでなかった。なのに、表情とは裏腹に心臓が妙な音を立てている。


 八雲はただゆっくりと目を細めて、



「ありがとう。………でござる」



 恥ずかしがりながら、忍者のまねをしてみせたのだった。

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