戦乱恋譚
ぼんやりと眺めていると、十分ほどして伊織が浴室から出てきた。濡れた髪をタオルでわしゃわしゃと拭いている。
無防備な彼に、どきり、としながらも、私は動揺を隠して声をかけた。
「伊織、早いね。ちゃんと温まった?」
「はい、ありがとうございます。」
彼は、私の隣に静かに座り、私の視線の先を眺めた。
「…何をしていたんですか?」
「あぁ。月を眺めてたの。もうちょっとで、また満月が来るなあって思って。」
私の言葉に、伊織が、はっ、とした。わずかに曇る顔に気がつかないふりをして私は続ける。
「満月の日になったら、伊織は元の世界に帰らないといけないでしょう?だから、いつでも呼び出せるように、そろそろ龍の依り代を折りはじめようかなって思って。」
しぃん…
部屋が静まり返った。
「…どういうことですか?」
「言葉のままだよ。…本当は、わかってるでしょう?」
私はこの世界の住人で、伊織はそうじゃない。元の世界に伊織は必要で、ここにずっと居ていいわけじゃない。
満月が来たら、私たちは“離れなくてはならない”。
伊織は、いるべき場所に帰らなくてはならないんだ。
…と、その時だった。
…きゅっ。
伊織が、無言で私の手を握った。驚いて彼へ視線を向けると、熱を帯びた白銅の瞳と目があう。
「…伊織?」
小さくその名を呼ぶと、彼はわずかに俯いた。
何かを言うのをためらっているような彼。しかし、覚悟を決めたのか、伊織は私の手を握ったまま、静かに呟いた。
「…華さんがここに残るというなら、俺は帰れません。」
「え…?」
「俺はもう、あなたのいない世界には戻れない。」