もう何も失うことのない、彼らの日常。
7.二人の馴れ初め(終)
ショッピングモール七階にある映画館で今話題の恋愛映画を見た私と公生くんは、七階にあるお寿司屋さんで昼食を食べていた。目の前にはマグロやブリなどの様々なお刺身が乗せられた海鮮丼が置かれていて、それを食べながら、私は公生くんに話を振り続けている。
「映画、すごいよかった! ちゃんと原作のこと考えてくれてて、原作になかったエピソードを補完してくれてたし!」
「そうなんだ」
「そう! そうなの! もしかして、公生くん原作読んだことない?」
「読もうとは思ってたんだけど、実は忘れてて」
「えー、もったいないよ、それ。貸してあげる。今日帰りに家まで寄ってよ」
思わずその提案をして、自分のことなのに驚いてしまった。もう、自分の好きな小説を貸さないと、心に決めていたのに。
彼なら、わかってくれるとでも思ったのだろうか。公生くんの部屋には、本がたくさん置かれていたから。だから、私の趣味を共有してくれると、そんな甘い考えを持ってしまったのかもしれない。
だけどそれはやっぱり甘い考えで、私はすぐに現実を知った。公生くんが、首を振ってしまったから。まさか、こんなにも明らかな拒否を示されるとは思わなくて、私はかなり落ち込んだ。
けれど、彼はすぐに言葉を続けてくれる。
「ううん、貸してくれるのは嬉しいけど、大丈夫。ちゃんと買って、作者さんを応援したいから。映画もすごく面白かったし、これ食べ終わったらすぐに本屋に行こうよ」
「え、買ってくれるの?」
「元々、買おうとは思ってたから。映画を見て話の内容わかっちゃったけど、嬉野さんの話を聞いてたら、原作の方も読みたくなっちゃった。あと、昨日嬉野さんにオススメされた本で、気になるのもあって」
私は思わず、公生くんのことを見つめてしまう。こんな人、初めてだった。昨日はテンションが上がって、大好きな本の話を、並んでいる時にたくさん話してしまったから。多かれ少なかれ、引かれたと思っていたのに。私の話なんて、彼の頭の中には残っていないと思ったのに。
私は初めて、男の人に対して大きく心が揺り動かされた。こんなにも趣味の話をして嬉しいと感じたのは、生まれて初めてのような気がする。ずっと、わかってくれる人がいなかったから。
私は思わず机越しに、公生くんの両手をガシッと掴む。それからすぐに「友達になろ!」と叫んだ。とても恥ずかしいセリフで、周りに座っていたお客さんたちがくすりと微笑む声が聞こえてきたけれど、私はふざけてないしとても真剣だった。
男性との距離の詰め方がわからない私は、こんな不器用な方法を取ることしかできない。けれど、そんな笑っちゃうような告白だったのに、公生くんは少し恥ずかしそうに視線をさ迷わせた後、「……うん。よろしく、嬉野さん」と言ってくれた。
それから私たちは昼食を食べた後、五階にある本屋へと向かった。公生くんは、迷わずに数冊棚から本を取り、私に見せてくれる。
「オススメしてたの、この本だよね?」
「うん! うん! それっ! すごく面白いから!」
「たくさんあるから時間かかりそうだけど、頑張って読むよ」
「読み終わったら、感想聞かせてね。あ、とりあえず連絡先交換しようよ」
そういえば連絡先を交換していなかったことを思い出して、私はミニバッグからスマホを取り出す。私たちはそれから、メールアドレスと電話番号をお互いのスマホに登録した。
公生くんが私の名前が登録された連絡先一覧を見つめていたから、「どうしたの?」と訊いてみると、わずかばかりの逡巡の末にその理由を教えてくれた。
「実は、アドレスに誰かの名前を登録したの、久しぶりで」
「え、そうなの?」
「人付き合いが苦手で、大学で友達作れなかったから」
そう言って公生くんは笑ったけれど、その笑みは無理をして作ったものなのだと、私はすぐに理解することができた。
そして私もこれまでの生活を振り返って「うん、なんとなく、わかるかも」と呟いた。私の持っているスマホの画面には、様々な人の名前と連絡先が登録されているけれど。
「嬉野さん、人付き合い上手そうだけど。大学でも、友達結構いるんじゃないの?」
「ううん、私大学通ってないよ。普通に、仕事してる」
「それじゃあ、職場の人とたくさん話したりしない?」
「それはするけど、本心を包み隠さず言ったことは、高校生の頃からたぶん一度もないから。隠さないと、みんな私の前からいなくなっちゃいそうで」
だから偽りの自分を演じて、今私の周りにはたくさんの友人や知人がいる。本来の姿を見せていたら、ここに登録されている連絡先は、一つもなかったかもしれない。
「私はたぶん、人付き合いが上手すぎるんだと思う。だから周りに人は寄ってくるけど、本心は隠してるから疲れちゃうよ。いつも、ひとりぼっち」
けれど、今は一人じゃない。本心を包み隠さずに伝えることができる、素敵な友達が目の前にいる。たった一人だけでも、私は嬉しかった。
「そんなこと、ないと思う」
公生くんは不意にそう言って、私から視線を外した。どうして視線を外したのか、私はなんとなく、公生くんのことがわかってきたような気がする。つまるところ、自分で言っておいて、今から言おうとしていることに照れているのだ。
それでも、公生くんは私に話してくれた。
「嬉野さんが笑顔でそういう話をしてくれたら、きっと相手も嬉野さんのことが好きになると思う。隠す必要、ないんじゃないかな」
目を合わせてはくれなかったけれど、公生くんがちゃんと言葉にしてくれただけで私は嬉しかった。そして……それは一種の告白なんじゃないかと、私は密かに心の中で思う。
公生くんは、私のことを好きになってくれたのだろうか。
いつもオドオドとしている彼を見ていると、なんとなく本心がわからなくて、私は口元を手で隠しながら密かに微笑む。嬉しくて、嬉しくて、小さな声となり笑い声が口元から漏れた。
それを公生くんに聞かれてしまい、首をかしげられたけれど、私は笑いを抑えることができなかった。次第に彼は私のことを心配して「……大丈夫?」と訊ねてくれる。私は尚も笑みをこぼしながら「ありがとね」と答えた。
「それじゃあ将来子供ができたら、その子にも本を好きになってもらおうかな」
「嬉野さん、彼氏いるの?」
「ううん、いないよ。そういう公生くんは?」
「僕も、いないよ。そもそも、女の子の友達がいないから」
「そっかぁ、見る目ないんだね」
「どういうこと?」
思わず口にしてしまった言葉を飲み込むように、私は再び口元を手で抑える。なんだか急に恥ずかしくなって、顔が焼けたように熱くなった。
だけど、すぐに公生くんの言葉を思い出す。隠す必要は、ないんじゃないか。本心は、伝えてしまったほうがいい。ましてやそれが嬉しい言葉なら、相手も嬉しい気持ちになれるから。
そう考えた私は、抑えていた口元を解放して、彼に伝えた。
「公生くん素敵なのに、寄ってこないなんて女の子の見る目がないなって。私だったら、すぐにアタックするのに」
最後に余計な言葉を言ってしまった私は、羞恥で熱くなった頬に思わず両手を当てる。公生くんはといえば、しばらくの間呆けたように口を半開きにした後、びっくりしたのか半歩後ずさって「え?!」と、声を上げた。
私は慌てて、両手を前に突き出して左右に振る。
「あ! じょ、冗談だからっ! あんまり本気にしないでね!」
「あ、冗談……冗談だったんだ……」
少し寂しげな表情をする公生くんが面白くて、私はまた、数秒前は恥ずかしかったはずなのに微笑んでしまう。冗談だと言ったけれど、もしかすると私の方が、肉食系なのかもしれない。
自分の魅力に気付いていないところが愛おしくて、私がそれを気付かせてあげるお手伝いをしたいと思った。
次第に私たちは笑い合っていて、いつのまにか落ち込んでいた気持ちも吹き飛んでいる。帰るとき、次はいつ会おうかと約束して、手を振って別れた。自宅へと帰る道すがら、胸の鼓動がいつもよりちょっとだけ早いことに気付いて、すぐにこれが恋なのだと理解できた。
それからしばらくしてから私たちは付き合うことになって、一緒の部屋に暮らすようになって、結婚をして、可愛い可愛い女の子が産まれることになるなんて、この時の私は想像すらしていなかった。
「映画、すごいよかった! ちゃんと原作のこと考えてくれてて、原作になかったエピソードを補完してくれてたし!」
「そうなんだ」
「そう! そうなの! もしかして、公生くん原作読んだことない?」
「読もうとは思ってたんだけど、実は忘れてて」
「えー、もったいないよ、それ。貸してあげる。今日帰りに家まで寄ってよ」
思わずその提案をして、自分のことなのに驚いてしまった。もう、自分の好きな小説を貸さないと、心に決めていたのに。
彼なら、わかってくれるとでも思ったのだろうか。公生くんの部屋には、本がたくさん置かれていたから。だから、私の趣味を共有してくれると、そんな甘い考えを持ってしまったのかもしれない。
だけどそれはやっぱり甘い考えで、私はすぐに現実を知った。公生くんが、首を振ってしまったから。まさか、こんなにも明らかな拒否を示されるとは思わなくて、私はかなり落ち込んだ。
けれど、彼はすぐに言葉を続けてくれる。
「ううん、貸してくれるのは嬉しいけど、大丈夫。ちゃんと買って、作者さんを応援したいから。映画もすごく面白かったし、これ食べ終わったらすぐに本屋に行こうよ」
「え、買ってくれるの?」
「元々、買おうとは思ってたから。映画を見て話の内容わかっちゃったけど、嬉野さんの話を聞いてたら、原作の方も読みたくなっちゃった。あと、昨日嬉野さんにオススメされた本で、気になるのもあって」
私は思わず、公生くんのことを見つめてしまう。こんな人、初めてだった。昨日はテンションが上がって、大好きな本の話を、並んでいる時にたくさん話してしまったから。多かれ少なかれ、引かれたと思っていたのに。私の話なんて、彼の頭の中には残っていないと思ったのに。
私は初めて、男の人に対して大きく心が揺り動かされた。こんなにも趣味の話をして嬉しいと感じたのは、生まれて初めてのような気がする。ずっと、わかってくれる人がいなかったから。
私は思わず机越しに、公生くんの両手をガシッと掴む。それからすぐに「友達になろ!」と叫んだ。とても恥ずかしいセリフで、周りに座っていたお客さんたちがくすりと微笑む声が聞こえてきたけれど、私はふざけてないしとても真剣だった。
男性との距離の詰め方がわからない私は、こんな不器用な方法を取ることしかできない。けれど、そんな笑っちゃうような告白だったのに、公生くんは少し恥ずかしそうに視線をさ迷わせた後、「……うん。よろしく、嬉野さん」と言ってくれた。
それから私たちは昼食を食べた後、五階にある本屋へと向かった。公生くんは、迷わずに数冊棚から本を取り、私に見せてくれる。
「オススメしてたの、この本だよね?」
「うん! うん! それっ! すごく面白いから!」
「たくさんあるから時間かかりそうだけど、頑張って読むよ」
「読み終わったら、感想聞かせてね。あ、とりあえず連絡先交換しようよ」
そういえば連絡先を交換していなかったことを思い出して、私はミニバッグからスマホを取り出す。私たちはそれから、メールアドレスと電話番号をお互いのスマホに登録した。
公生くんが私の名前が登録された連絡先一覧を見つめていたから、「どうしたの?」と訊いてみると、わずかばかりの逡巡の末にその理由を教えてくれた。
「実は、アドレスに誰かの名前を登録したの、久しぶりで」
「え、そうなの?」
「人付き合いが苦手で、大学で友達作れなかったから」
そう言って公生くんは笑ったけれど、その笑みは無理をして作ったものなのだと、私はすぐに理解することができた。
そして私もこれまでの生活を振り返って「うん、なんとなく、わかるかも」と呟いた。私の持っているスマホの画面には、様々な人の名前と連絡先が登録されているけれど。
「嬉野さん、人付き合い上手そうだけど。大学でも、友達結構いるんじゃないの?」
「ううん、私大学通ってないよ。普通に、仕事してる」
「それじゃあ、職場の人とたくさん話したりしない?」
「それはするけど、本心を包み隠さず言ったことは、高校生の頃からたぶん一度もないから。隠さないと、みんな私の前からいなくなっちゃいそうで」
だから偽りの自分を演じて、今私の周りにはたくさんの友人や知人がいる。本来の姿を見せていたら、ここに登録されている連絡先は、一つもなかったかもしれない。
「私はたぶん、人付き合いが上手すぎるんだと思う。だから周りに人は寄ってくるけど、本心は隠してるから疲れちゃうよ。いつも、ひとりぼっち」
けれど、今は一人じゃない。本心を包み隠さずに伝えることができる、素敵な友達が目の前にいる。たった一人だけでも、私は嬉しかった。
「そんなこと、ないと思う」
公生くんは不意にそう言って、私から視線を外した。どうして視線を外したのか、私はなんとなく、公生くんのことがわかってきたような気がする。つまるところ、自分で言っておいて、今から言おうとしていることに照れているのだ。
それでも、公生くんは私に話してくれた。
「嬉野さんが笑顔でそういう話をしてくれたら、きっと相手も嬉野さんのことが好きになると思う。隠す必要、ないんじゃないかな」
目を合わせてはくれなかったけれど、公生くんがちゃんと言葉にしてくれただけで私は嬉しかった。そして……それは一種の告白なんじゃないかと、私は密かに心の中で思う。
公生くんは、私のことを好きになってくれたのだろうか。
いつもオドオドとしている彼を見ていると、なんとなく本心がわからなくて、私は口元を手で隠しながら密かに微笑む。嬉しくて、嬉しくて、小さな声となり笑い声が口元から漏れた。
それを公生くんに聞かれてしまい、首をかしげられたけれど、私は笑いを抑えることができなかった。次第に彼は私のことを心配して「……大丈夫?」と訊ねてくれる。私は尚も笑みをこぼしながら「ありがとね」と答えた。
「それじゃあ将来子供ができたら、その子にも本を好きになってもらおうかな」
「嬉野さん、彼氏いるの?」
「ううん、いないよ。そういう公生くんは?」
「僕も、いないよ。そもそも、女の子の友達がいないから」
「そっかぁ、見る目ないんだね」
「どういうこと?」
思わず口にしてしまった言葉を飲み込むように、私は再び口元を手で抑える。なんだか急に恥ずかしくなって、顔が焼けたように熱くなった。
だけど、すぐに公生くんの言葉を思い出す。隠す必要は、ないんじゃないか。本心は、伝えてしまったほうがいい。ましてやそれが嬉しい言葉なら、相手も嬉しい気持ちになれるから。
そう考えた私は、抑えていた口元を解放して、彼に伝えた。
「公生くん素敵なのに、寄ってこないなんて女の子の見る目がないなって。私だったら、すぐにアタックするのに」
最後に余計な言葉を言ってしまった私は、羞恥で熱くなった頬に思わず両手を当てる。公生くんはといえば、しばらくの間呆けたように口を半開きにした後、びっくりしたのか半歩後ずさって「え?!」と、声を上げた。
私は慌てて、両手を前に突き出して左右に振る。
「あ! じょ、冗談だからっ! あんまり本気にしないでね!」
「あ、冗談……冗談だったんだ……」
少し寂しげな表情をする公生くんが面白くて、私はまた、数秒前は恥ずかしかったはずなのに微笑んでしまう。冗談だと言ったけれど、もしかすると私の方が、肉食系なのかもしれない。
自分の魅力に気付いていないところが愛おしくて、私がそれを気付かせてあげるお手伝いをしたいと思った。
次第に私たちは笑い合っていて、いつのまにか落ち込んでいた気持ちも吹き飛んでいる。帰るとき、次はいつ会おうかと約束して、手を振って別れた。自宅へと帰る道すがら、胸の鼓動がいつもよりちょっとだけ早いことに気付いて、すぐにこれが恋なのだと理解できた。
それからしばらくしてから私たちは付き合うことになって、一緒の部屋に暮らすようになって、結婚をして、可愛い可愛い女の子が産まれることになるなんて、この時の私は想像すらしていなかった。