Sweet Healing~真摯な上司の、その唇に癒されて~
「じゃあ、行ってくる。」
靴を履いた雨宮が千紗子を振る。
「いってらっしゃい。」
当たり前の挨拶を口にした千紗子に、雨宮が一瞬丸く目を見開いた。
「??」
そのまま出ていくだろうと思っていた彼が、千紗子の目の前で固まっている。
(何か忘れものでも思い出したのかしら?)
千紗子が小首を傾げて雨宮を見上げていると、雨宮がビジネスバックを持っていない方の手で自分の口を覆った。
「―――やばいな。」
「どうかしましたか?何か忘れ物でも?私で分かるなら取ってきますよ。」
もしかしたら仕事に関わる大変なことでもあったのかと、千紗子はハラハラする。
目の前の雨宮は口元を手で覆って、なぜか千紗子から目を逸らしたままだ。
「いや、大丈夫だ。」
じゃあ、何なんだろう?と千紗子は不思議に思った。自分の方を見ようとしない雨宮の様子もなんだか変だ。
「雨宮さん?」
呼びかけに、雨宮は視線だけを寄越す。彼の頬が心なしか赤く見える。
「やばいな……『いってらっしゃい』って送り出して貰えるなんて……弁当も作って貰ったし、千紗子が奥さんになったみたいだ。」
「!!!」
一瞬で千紗子の顔が真っ赤に染まった。
そんな千紗子に雨宮は目を細めながらも、尚も言葉を続ける。
「このまま俺の嫁に来ないか?」
そんな冗談とも本気とも知れない台詞を吐きながらはにかむ雨宮に、千紗子は返す言葉もなく唇をわなわなと震わせる。
「千紗子のおかげで今日も一日頑張れそうだ。いってきます。」
頬を赤くしたまま照れくさそうに笑う雨宮の、その滅多に見ることのできない表情に、千紗子は思わず見惚れてしまう。
雨宮の顔がなぜか近付いて来て、千紗子の頬に柔らかな感触がして素早く『チュッ』と音を立てて離れて行った。
(えっ!?)
あまりの早業に千紗子が状況を飲みこむ前に、玄関扉から雨宮は出て行ってしまった。
爽やかさと甘さの絶妙に混じった香りだけを、その場に残して。