Sweet Healing~真摯な上司の、その唇に癒されて~

 ちらりと横目で雨宮を見ると、なぜか目が合ってしまい、千紗子は慌てて顔を逸らした。

 「ふっ、―――どうした?」
 
 軽やかにハンドルを操作しながら、少しだけこちらを向いて笑う雨宮の表情は柔らかい。
 入浴を済ませた後なのか、無造作に下された髪がサラサラと揺れ、彼が身に着けている甘くて爽やかなフレグランス香りに交じってほのかなシャボンの香りが鼻に届く。
 軽く捲ったニットから見えるその腕は細いように見えて、触れると意外と固くて逞しい感触を思い出してしまって、千紗子は頬がうっすらと赤くなってしまうのを感じた。

 「熱いのか?」

 「い、いえ。大丈夫です。えっと、コートを着てるから少し暖かいですけど、外が寒かったからちょうど良いくらいです。」

 なぜかしどろもどろに話す千紗子に、また「ふっ」と息を吐きながら笑った雨宮は、前方を見たまま「じゃあ他に何か言いたいことでもあったか?」と言った。

 「言いたいこと…?」

 「ああ。さっき俺の方を見たから、何かあったのかと思ってな。」

 「あ、…えっと、その。『お迎えは要りません』てメッセージのお返事をすれば良かったな、と思って。迎えに来ていただかなくてもちゃんとバスで帰れますよ。」

 「ああ。別に迷子になるとか思っていないけど、夜だし暗いだろ?千紗子に何かあったらと心配するくらいなら迎えに行った方が早い。」

 「心配って…これまでもこの時間に一人で帰ることが普通ですよ?」

 千紗子は少し呆れて、瞬きを数回した。
 美香や他の先輩と勤務時間が重なれば、途中まで一緒に帰ることもあるけれど、基本的に暗かろうと明るかろうと、一人で道を歩いて帰るのが普通の毎日だ。天候次第でバスに乗って駅まで帰ることもあるけれど、図書館から駅までは徒歩圏内なので、健康のためにも歩くことにしている。

 「仮にそれが普通でも、俺がそうしたいんだ。ダメか?」

 「ダメか…って………」

 首を少し傾けた雨宮におねだりする態で言われて、千紗子はクラッと目が回るような気持ちになる。
 耳に入る声色は甘く、隣を見なくても彼が今どんな顔をしているか分かる。きっとあの吸い込まれそうな瞳を輝かせて自分を見つめているに違いない。
思わず頭を縦に振ってしまいたくなるけれど、このまま流されてはいけないと思い直した千紗子は、お腹に力を入れて口を開いた。
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