Sweet Healing~真摯な上司の、その唇に癒されて~
「先に風呂に入るか?」
メモを見ていた千紗子の隣にいつのまにか雨宮が立っていた。
「いえ、先に夕飯にしましょう。着替えてきたらすぐに準備しますね。」
「ああ。分かった。」
雨宮の返事を聞いた千紗子は、すぐにリビングを出て脱衣所に向かった。
置いてある部屋着に手早く着替えて、手を洗う。
早番の彼は七時前には職場を出でいた。そのまま帰宅したとしたら、夕飯を食べる時間は十分あったはずだ。
見事に予想を裏切られた千紗子は、早く夕飯準備に取り掛かろうと少し焦っていた。
廊下を急ぎ足で戻り、リビングのドアを開けると、食事のいい匂いが千紗子の鼻をくすぐった。
「あっ!」
ソファーの後ろを通ってダイニングテーブルが目に入った途端、千紗子の目はそこに釘づけになった。
ついさっきまでメモ以外は何も乗っていなかったテーブルには、お皿やグラス、カトラリーまでもが並べられ、中央には千紗子が買っておいたブランジェリーのパンが大皿に盛りつけて置いてある。
「もう着替えたのか?早いな。さ、座って。」
雨宮の声に顔を上げると、キッチンで鍋からシチューを注いでいる彼と目が合った。
「これ、雨宮さんが…?」
目を丸くして訊く千紗子に、雨宮は微苦笑を浮かべなながらシチューの入った皿を両手に乗せてやってくる。
「なんだかそんなふうに驚かれると、俺が全部作ったみたいだな。作った本人だから知ってると思うけど、俺は温めただけだ。なのになんでそんなに驚くんだ?」
「だって、…着替えてる間に、…食べれるようになってると思わなくて……。」
驚きのあまり、大きな瞳を丸くして、雨宮がテーブルに皿を並べるのをただ目で追っているだけの千紗子は、雨宮に対して敬語がとんでいることにすら気付かない。
「食器を並べて鍋を温めるくらいなら、俺にだって出来るぞ。いったいどんな子どもと比べて…」
そこまで口にした雨宮がハッと息を吸うのが、すぐ隣に立っている千紗子には分かった。
そして千紗子は、雨宮が思い到ったであろう事実に、気が付いてしまう。
「え…と、その…」
なんとなく、とても悪いことをしてしまったような申し訳なくもいたたまれない気持ちになって、謝罪の言葉を口にするか悩んでいると、雨宮が千紗子の座る椅子を引いた。
「座って。」
低い声に促されて、何も言えないまま千紗子はその椅子に腰を下ろした。
「あとはロールキャベツだけだから、待ってて。」
「あっ、わ、私が、」
腰を浮かせかけた千紗子を、手だけで制した雨宮がキッチンに入って行くのを、黙ったまま見送る。
有無を言わせない雰囲気の雨宮に、それ以上何も言えずに千紗子は再び腰を下ろした。