天満つる明けの明星を君に【完】
その日の夜――雛菊はやって来なかった。

いつも通り来てくれるものと思っていた天満がどうしようか考えていた時、宿屋の使用人と名乗る男が文を携えてやって来たため、天満は驚きながら玄関で文を開いて眉を潜めた。


‟家の用事が片付かないため、今日はそちらへ行けません”


――立場としては宿屋の若女将なのだから、そういうこともあるだろうとは思う。

だが何か引っかかるものを覚えた天満は、目を合わさず俯いている男に静かに声をかけた。


「あなたは雛ちゃ…雛菊さんに会いましたか?」


「い、いいえ…では失礼いたします!」


呼び止める間もなく使用人がそそくさと立ち去り、その背中を見送った天満は、戸を閉めて居間に戻り、しばらく佇んでいた。


雛菊が来れないのは仕方ない。

今夜も人を脅かす妖を討伐するため出かけなければならず、雛菊には合鍵を持たせているから何か危ないことがあればすぐ避難してくるだろうと思った。


「大丈夫かなあ…」


先程ここに居た時は口付けを交わして、幸せそうにしていた雛菊が頭に思い浮かんだ。

そして夫の駿河が朔に頻繁に外出していることをやんわり問われて明らかに動揺したのも知っていた。

…胸がざわつく。

ざらりとしたものが身体中を這い回っている嫌な感じがしたが、雛菊を信じて家を出た。

だが天満もまた心配性であり、戻って来たら宿屋に様子を見に行こうと決めて夜空を駆けた。


「雛菊…お前は私のものだ。私だけのものなんだ。幼い頃から想い続けて、やっと手に入れたのだから、絶対に離さないよ…」


――妄執に取り憑かれた駿河は、ぐったり横たわる雛菊の頬を撫でた。

身体中には赤黒い痣ができて、上げていた声ももう出ない。

だが、目にはずっと頑なな光が宿っていた。


「まだそんな目をするのかい…?お前は私の言うことだけを聞いていればいいんだ」


もう何度目だろうか?

また覆い被さって来た駿河を冷たい目で見た。

何度殴られようとも痛めつけられようとも、屈しない。

絶対に天満が助けてくれるから。

絶対に――

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