三途の川のお茶屋さん
けれど病魔は容赦なく私の体を侵す。梅雨の終わり、ついに重い腰を上げ、向かった地元のクリニック。医師のただならぬ表情に動悸が収まらないまま、私は紹介状を持たされて、その足で大学病院を受診した。
そこからはまるで坂道を転がるように、体調は悪化の一途を辿った。
既に病巣は全身に巡り手術不能、化学療法を始めたが進行の速さに追い付かない。
副作用に苦しみながら、私はいつも病室の窓から茂るクスノキを眺めていた。クスノキには多くの蝉が付き、煩いほどの大合唱を披露していた。
その大合唱も落ち着き始めた夏の終わり。クスノキの枝から、空蝉がぽろりと落ちるのを見た。それが私の最期の記憶。
私は秋を待たずに、人生を終えた。
悟志さんは最期の瞬間に、間に合わなかった。