キスすらできない。
もう何かあったのだと腹を括るとしてだ。
せめてそれなりにまともな相手だったらいいな。
鬱陶しく降りていた髪を掻き揚げ、昨夜の自分に呆れながらそんな期待薄な願望を頭に浮かべた刹那だ。
聴覚に響いたのは扉の開く小さな響き。
それに自然と引かれて視線を移した先には…。
………ムサい無精ひげの男。
うっかり無意識にも怪訝な表情に切り替わってしまった程。
いや、ムサいと言っても太ってるとか、小汚いとか、そういう事ではないのだけども。
身長はパッと見でも高いと感じるし。
体格もいいし手足も長い。
ただ、如何せんその素材の良さを全て放棄したかの様な装いであるのだ。
ストレートの黒髪は寝起きのままの如く雑に下りきって、前髪なんかは切れ長であろう双眸をチラ見せする形に覆っている。
そこからスッと伸びた鼻筋は実に綺麗。
それなのに延長線、これまた形のいい薄い唇の周りには薄ら無精ひげが生えている。
年齢は……30半ばから後半ってとこ?
なんて勿体ない。
そんな感想が第一印象。
まあ、何にせよだ…
「………昨夜は……お世話になりました」
「……いや、」
あら、声もまた低く心地の良いトーンだこと。
初めて聞く筈なのに何故だかストンと自分の中に安堵を感じる声音だと感じる。
何故だろう?なんて思うも、考えてみれば初めてではないのだ。
記憶が無いにしても昨夜から一緒にいるらしい存在。
この声に馴染みを覚えていても不思議じゃない。