千一夜物語-森羅万象、あなたに捧ぐ物語-
それは神羅が黎に‟もう会わない”と告げた夜の一幕だった。

はじめて恋をして、はじめて抱かれた夜――黎は何度も何度も‟何故だ”と繰り返した。

神羅は一言も理由を言わず、黎の滾る熱を受け続けた。

そうしながらも、今この瞬間だけは独り占めできるという満足感が強く、この夜を胸にこれからの千一夜を生きてゆけると喜びを噛み締めた。


「黎…私の主さま…!」


――喜びに打ち震えたのも束の間。

次の瞬間、目を開けた神羅は見知らぬ男の腕に抱かれて硬直していた。

それは明らかに黎ではなく、理知的な男の目には明らかに恋の炎が燃え盛っていたが、神羅の心は微塵も動かず、心も身体も人形と化していた。

身体に何の感覚もなかったけれど、ものすごく嫌だと思った。

これは愛した男ではない――

助けて。

助けて…


「黎…!助けて…っ!!」


私が…神羅が愛した男はただひとり。

黎明…私の主さまだけ。


「…っ!」


飛び起きた。


全身汗に濡れていたが、我が身に起きた異変だけは冷静に受け止めていた。


「私は…神羅だったんだわ…」


幼い頃から何かぽっかり心に穴が空いていたような気がしていた。

忘れてはいけない何かを忘れている――その焦燥感だけは拭えず、自分を待っている男が居るという確信だけはあった。

だから、誰にも心も身体も譲らず生きてきた。

その意味が、ようやく分かった。


「黎…」


良夜は、黎だ。

生前約束した通り、共に転生して会いに来てくれたのに――共にそれを覚えていない状態で出会いながらも、惹かれた。


「黎…黎明…!」


会いたい。

美月として生きた時間…

誰かを待ち続けた時間…

全部全部、黎に再び全てを捧げるため、準備してきた時間。


――両手で顔を覆って涙を零した時…その声は静かに降り注いできた。


「美味そうな女の匂いがするぞ」


愛しい、その声で。


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