千一夜物語-森羅万象、あなたに捧ぐ物語-
あと少し指先を伸ばせば触れ合えるところまできていたが――

妙な気配を感じた良夜は目を光らせて刀を手に素早く立ち上がった。

殺気立ったその様子に美月は思わず手を伸ばして良夜の袖を握ると、引き留めようとした。


「あれは泉に居る者の気配です。お願いですから手を出さないで」


「泉に居るのはなんだ?幽玄町に住むからには俺たちに一度は挨拶をしに来ないと敵と見なす」


「必ず行かせますから、今は放っておいてほしいということです。…知らぬ者が突然訪れたので驚いているだけですから」


「…」


美月が妙に庇うのが気に入らない。

結局引き留めようとする美月の手を振り払った良夜は、ずんずん歩いて外へ出ると、神社の入り口横にある大きな泉の前に立った。

水面には大きな波紋が広がり、それが魚の仕業でないことが分かる。

こちらの気配を探っている謎の妖に対して次期当主となる立場の良夜は、静かに声をかけた。


「俺はこの町を統べる者の一族だ。美月が庇い立てしたから今回は許してやるが、次はその姿見せてもらうぞ」


「…」


ぱしゃん、と水面を強く打ち、また大きな波紋が広がった。


「人型ではないな」


呟いていると、追いついた美月が息を切らして良夜と泉の間に立ちはだかった。

それが気に入らず鼻を鳴らしていると、美月は胸を押さえながら泉に目を遣った。


「まだ幼子なのです。親に捨てられた可哀想な子なのです。決して悪意はありません」


「お前が養っているというのか?」


「私が後見人のようなものです。この子を拾い、ここへ連れて来てこの泉に住まわせています。罰するならば、どうぞ私を」


「じゃあ今から俺と共に屋敷に来い」


「…え?」


いい口実ができたとばかりに有無を言わさぬにっこり笑顔を見せた良夜は、泉に向かって声をかけた。


「というわけでお前の後見人を連れて行く。明日は必ずその姿を見せろ」


行くぞ、と声をかけて歩き始めた良夜を呆気に取られて見ていた美月だったが、ここは言う通りにしないときっと良夜は引かない。


「すぐ戻って来ますからね」


「できるものならやってみろ」


ちらりと見せてきた牙に、ぞくりとした。

あの牙に噛みつかれたことがある気がする――何故かそう思って、身震いした。
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