千一夜物語-森羅万象、あなたに捧ぐ物語-
狼はどこかへ行ってしまっていたが、山頂の神社から幽玄町を見渡せる階段の所まで行くと、口笛を吹いた。

するとどこからかそれに応えるような咆哮が返ってきて美月が驚いていると、良夜はその辺の庭石に腰かけて欠伸をした。

…まさか今から挨拶に行かなければならなくなるとは思っていなかった美月は、いつものように薄化粧しか施しておらず、巫女装束のままだし髪もいつものようにひとつに束ねただけ。

恰好が気になって手でぱたぱた埃を叩いていると、良夜の周りに裏手の山から下りて来た兎や野鼠がわらわらと寄って来て後退った。


「何かの術を使ったのですか?」


「ん、いや、昔からこうなんだ。獣や獣型の妖が懐いてきて離れなくなる。だから屋敷にも沢山居る」


膝に上ってきた兎の耳を良夜が撫でるとうっとりしたまま動かなくなり、どこかでこんな光景を見たことがあるなと思っていると、下から階段を駆け上って来た狗神姿の狼が現れて度肝を抜かした。


「呼んだだろ?」


「ああ。山を下りたいから背中に乗せろ」


「了解。あれ、その娘もか?」


「そうだ。連れて行って親父に会わせる。美月、手を」


良夜が手を伸ばした。

美月は反射的にその手を握り――雷撃を受けたような衝撃に身体を貫かれて、硬直した。

だがそれは良夜も同じだったようで、うめき声を漏らしてよろめいた。


「良夜様!大丈夫か!?」


「な、んでも…ない…」


また頭痛を覚えて頭を押さえた良夜は、自身の身体を抱きしめるようにして震えている美月にまた手を伸ばした。


「美月…」


「で、でも…」


「いいから、手を…」


また先程のような衝撃が来るかと思うと怖じ気づいたが、それよりも良夜の美貌が必死さに溢れていて、勇気を振り絞ってその手を握った。

だが何も起こらず、良夜の大きな手から温かさが伝わってきてほっとしていると、ぐいっと手を引っ張られて伏せた狼の背中に乗せた。


「すぐ着くからしっかり掴まってろ」


「は、はい」


――さっきのは何だったのか?

獣を撫でる優しい手つきを見た。

だがその男は良夜ではなく、もっと研ぎ澄まされたやや冷淡な美貌の男だったのに。

何故良夜と似ていると思ったのだろうか?

分からないことだらけで混乱していたが、良夜の腰にしがみ付いて屋敷に向かった。
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