限定なひと
「なんか、嘘つくのも苦手そう」
 嫌な予感しかしなくて、心がにわかにざわつく。
「安心して。俺はチルさんに、嘘なんか吐かせないからさ」
「……嘘って、なに?」
 彼は焼酎の注がれたグラスをカラカラ揺らした。
「そうだなぁ……。たとえば、チルさんは全然大丈夫じゃないのに『大丈夫』って言わせちゃったり」
 掌に再び汗が滲む。 
「本当は泣きそうなのに、絶対涙なんか見せない、とか?」
 息が上手くできない。
「だいたい、あんな面倒な三角関係なんて、とっとと辞めりゃよかったんだ」
 心臓がバクバクしてる。
「ああ、でもあれってさ。今なら確実に、犯罪行為で罰せられるよね」
「い、いい加減にしてっ!」
 思わず声が出ていた。周囲の喧騒が一瞬静まる。
「ごめんなさい。私、今日はもう、帰る」
 逃げるように居酒屋を飛び出すと、私はそのまま目の前を走りぬけるタクシーに手を上げる。背後から彼の声がしたけど、そのまま少し先で止まったタクシーへと闇雲に駆け込んだ。
 バックミラーに彼の姿がちらりと見えたけど、振り向く勇気はなかった。
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