限定なひと
 酔った勢いで話してしまった可能性は大きい。
 今までも、酒の席で愚痴る事は何度かあった。でもそれは、本当に気心のしれた友人の前だけだったし、彼女たちもリアルタイムであの頃の私を見ていたから話すこともできた。
 もし、私が彼にもそうしていたのなら。私はそれくらい、あの清住偉人という男性に心を許していたのだ。
「ああ、だめだ……」
 情けなく、私はまた泣き崩れた。


「ちょっと、どうしたの? その顔っ!」
 タイムカードを切る手が思わず止まる。由美さんにだけは会いたくなかったけど、寄りにもよってこんなタイミングで彼女と鉢合わせとは。今週もきっとついてない。
「あの、心のデトックス? っていうのかな。ほら、映画見て泣いてスッキリ? みたいな」
 半眼半笑いの彼女が怖くて、視線を合わせられない。
「ねぇねぇ、今日の夜って空いてる?」
 私は思いきり顔を横に振る。えーうっそだぁー、と訝る彼女の言葉に更に頭を強く振った。
「すいません、久住さん。間島さん、今日は俺のアシストで残業なんです」
 背後から降ってくる声に身体が固まる。
「あらま、淡麗王子じゃん」
 なんですかそれ、と相変わらずぶっきらぼうな声が、強張る身体に更なる追い打ちをかける。生きた心地がしない。
「ん? んんんんっ!? ね、ねねっ」
 由美さんが私の背中をバンバン叩く。だから、いたい痛いってば。でも彼女はお構いなしだ。
「ちょっと、淡麗くん。君ってさ、それも良く似合うねぇ~」
 慌てて振り返るとそこには、車内限定のはずの眼鏡をかけた摩天楼が気まずそうに突っ立っていた。
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