限定なひと
「ガキのクセに人様のものを盗ろうなんて10年早いのよっ!」
 次の瞬間、左の頬に熱を伴った痛みが走った。頭の中が瞬時に真っ白になって私はその場から逃げ出すことしかできなかった。
 それから卒業するまでの間、学校では様々な噂が流れた。生活指導の教員や担任からも、何があったか言及された。親も呼び出されたけれど、終始無言でやり過ごすしかなかった。
 やっと彼が連絡を寄こしたのは、駅の一件から一週間が過ぎたころ。
「明日って、逢える?」
 沈んだようなその声に、どう答えていいのかわからない。
「逢おうよ、ね?」
 どろりと耳に流し込まれた粘度の高い囁きに、肌が思わず粟立った。今までだって、何度も電話で話をしてきたのに、どうしてこんなにも違って感じるんだろう。
「……わ」
 頭が懸命に理性を保とうとしているのに。
「私、も」
 心が勝手に動いていた。

 次の日は一日をどう過ごしたのか、よく覚えていない。
 ただ、くっきりと残っているのは、彼が意外と筋肉質だったこと。それともう一つ。とにかくやたらと痛かったこと。それだけだ。
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