限定なひと
「だからさ、ごめんね。もう会えないや」
 まって。
 私は貴女のミューズじゃないの? 
 私の事、好きだっていうのは嘘だったの?
 今までの二人の時間は何だったの? 
 私の気持ちは、どうすればいいの?
 頭は懸命に冷静になろうとしているのに、心が勝手に喚き散らす。
「……わかり、ました」
 収拾のつかない状況に陥った私は、その一言を絞り出すので精一杯だった。


 彼の家から出たとたん、足元から大海に放り出されたような恐怖がせりあがって来た。おぼつかない足取りで駅に向かいながら、何だったらこのまま死んでやるのもいい、そんな投げやりな気持ちが去来していた。
 でも、いざ駅のホームで白線の前に立つと、それ以上は何もできない。
 結局、私も彼と同じ。彼より何より、自分が一番だっただけのこと。
 それきり。二度と再び、彼と私は会う事はなかった。
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