限定なひと
「まぁまぁ、せっかく持ってきてくれたんだからさ、頂きながら作業しようよ。ね?」
 唇に吐息がかかるくらいに顔を寄せてそういうと、麗しの姫君は目元を赤く潤ませて、ぐっと言葉を詰まらせる。そんな俺たちの背後で、彼女の母親が目のやり場に困ってわたわたしている気配がするから、思わず吹き出しそうになる。
 こういうおふざけは止めて、と彼女が声を潜めて俺を牽制する。
 でも、俺は懲りずにまたやってしまうんだと思う。彼女を困らせるために。
 今だって、ほら。俺を見上げる彼女の視線の中に『チルさん』が僅かに滲む。怒りとか嫉妬とか、諸々の負の感情を抱え込んで堪えているあの目が、俺の気持ちを強烈に昂ぶらせる。彼女の母親が居なければ、間違いなく押し倒してた。
 俺は彼女の事に関して、どこか決定的に壊れてるのかもしれない。
 実際、学生時代。正義と常識を暴言で訴える鈴っち先輩(今は誰が着けたか、暴れん坊大将軍ってすっごいネーミングセンスの渾名で呼ばれてるけどさ)を先頭に周囲から散々その辺のことを指摘された。
 お前の考えは絶対におかしい、一歩間違えば犯罪者レベルだと。
 俺としては、至極単純な話。
 彼女と一緒に居たいけど家業を継がなきゃならないから物理的に無理なので、それなら彼女の勤務先を買収して俺がそこの社長になれば、必然的に彼女の近くに居なくちゃならなくなるし、彼女と近しくもなれるから、ほらね丸く収まる、って言ったら、みんなに馬鹿かと呆れられた。
 更には、お前、世の中舐めすぎだろ、って罵るののしる。
 いやいや、世の中わかってないのはそっちの方。だって、それが可能なら使わない手はないし、実際使えたし、こうして結果も出ているわけだし。
 ホント、つくづく思う。あいつらは頭も要領も悪い。
 ただ、鈴っち先輩には、少々申し訳なかったかなとも思う。
 俺が本格派ストーカーに闇落ちしないよう、お目付け役として清伝堂からこっちに飛ばされたっていう、一番の被害者だし。
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