限定なひと
 彼女はうーんと、難色を示している。本音を言えば俺だって、彼女の機嫌が悪くなるところにわざわざ足を向けたくはない。彼女の母の生産性の無い長話と不愛想な娘と不甲斐ない夫の愚痴話に付き合わされるのは、俺としては、そこそこ面白いからいいけれど、彼女はそれを良しとしない。挙句、後で酷く謝られるのも、俺としてはなんだかとっても忍びない。
「それならなおのことだよ。搬入までの中途半端な空き時間の有効利用に持って来いだと思わない? ね?」
 それでもなお、俺が火中の栗を拾いに行くにはそれなりの理由がある。
 ぶっちゃけると、俺実家からの要請だ。彼女の母親が連日、二人が顔を出してくれない、と電話で俺の家に愚痴ってくるのだという。それを彼女に悟られないよう上手く彼女を実家へと誘導しろ、とお袋と親父から難題を突き付けられている。
 お袋は正直、彼女と母親の距離感を何となく察している。学生の頃の彼女を良く知っているお袋だからこそ、なんだろうけど。その反面、親の気持ちもよく分かる、ともいう。だから、俺が潤滑剤となって上手く立ち回れ、と言われた。なんで俺が他人の家、……いや、もちろんこれからは身内になるけども、そこに首突っ込まなきゃならんの? とも思った。かといって、彼女に面と向かってこの事を言うのは一番のご法度だ。彼女の事だから、俺たちにこれ以上の迷惑はかけられない、とか言い出して、しまいには結婚も白紙にし兼ねない。
 それだけは絶対に嫌だ。
「……うん。まぁ、そう言われれば、そうね」
 渋々ではあるが、やっと姫君のお許しが降りた。腑に落ちない風の彼女を抱き寄せて、俺は思わず安堵のあまり、旋毛にキスを軽く落としていた。
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