限定なひと
「ああ、そうだ。いつもの、あれも書いておいてよ」
 思わず盛大なため息が漏れた。周囲がギョッとしたように私を見る。
「……あれ、ですか?」
「そうそう。間島さんの唯一の特技なんだからさぁ、ささぁーっと一筆啓上。よろしく頼むよ、ね?」
 私は辟易しながら、送付状替わりの一筆箋を引き出しから取りだす。
 旅先や文具店で書きやすそうな一筆箋を見かけると、ついつい手が伸びてしまうのが、かつての私の悪い癖だった。
 それは以前に師事していた書家の真似ごとで、その人はどこかへ出向く度、私に自分とおそろいの一筆箋を買ってきた。私が大きな大会で優勝した時、記念だからと贈られた万年筆と小筆のセット、それを嫌っていう程使ってほしいから、と言って。
 その人は、ふと気になった言葉や思いついた事を、正に思いのままにそこへと書き殴っていた。気づけば私も、それが当たり前になってしまっていた。
 今はもう、きれいさっぱり書道は辞めてしまっていて、未練も何もない。
 なのに、どうしてか書かれる宛てのない一筆箋だけが、いたずらに溜まっていく。
 いっその事捨ててしまおうかと思った。それならメモ帳代わりにでも使ってやれと、職場に持ち込んだのが運のつき。一度、気まぐれにお詫び状を兼ねた送付状をそれでしたためたら、どうも先方から好感触だったらしい。すっかり味を占めた男性社員が、それ以来、何かにつけて私にそれを書かせようとする。
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