水の踊り子と幸せのピエロ~不器用な彼の寵愛~
プロローグ
その日、姫野波音《ひめの なみね》は、目の前に広がる光景に対し、つま先から頭頂部まで、まさに全身を震わせ怯えていた。
(や、やっぱり、無理だって! これは!)
波音の前にあるのは、縦にピンと張られた一本の綱。その下の空間には、床との間を遮るものは何もない。綱は床から数メートルの空中にあり、波音はその綱を渡り始める直前の地点にいる。
つまり、いわゆる『綱渡り』をしようという状態だ。
「おい、早くしろ! 観客が焦《じ》れてるだろうが!」
「は、はいっ!」
一向に渡り始めようとしない波音を不審に思ってか、観客たちがざわめき始めた。すかさず、波音の背後から、団長の急かすような声が飛んでくる。
舞台《ステージ》を中心にして、それを囲むよう円状に作られた座席は、今日も満員に近い。ここは、それだけの盛況を誇る曲芸団なのだ。だからこそ、波音に失敗は許されなかった。
(やるしかない……やるしかないんだ!)
波音はバランス棒を手に、右足を綱の上へと出した。初舞台ということで、今日だけはバランス棒を持つ許可をもらっている。それと命綱があるとはいえ、高所が怖いことに変わりはない。
練習は幾度もしたが、恐怖と不安に加え、本番の緊張が上乗せされると、波音の頭の中はほぼ真っ白になっていた。
(や、やっぱり、無理だって! これは!)
波音の前にあるのは、縦にピンと張られた一本の綱。その下の空間には、床との間を遮るものは何もない。綱は床から数メートルの空中にあり、波音はその綱を渡り始める直前の地点にいる。
つまり、いわゆる『綱渡り』をしようという状態だ。
「おい、早くしろ! 観客が焦《じ》れてるだろうが!」
「は、はいっ!」
一向に渡り始めようとしない波音を不審に思ってか、観客たちがざわめき始めた。すかさず、波音の背後から、団長の急かすような声が飛んでくる。
舞台《ステージ》を中心にして、それを囲むよう円状に作られた座席は、今日も満員に近い。ここは、それだけの盛況を誇る曲芸団なのだ。だからこそ、波音に失敗は許されなかった。
(やるしかない……やるしかないんだ!)
波音はバランス棒を手に、右足を綱の上へと出した。初舞台ということで、今日だけはバランス棒を持つ許可をもらっている。それと命綱があるとはいえ、高所が怖いことに変わりはない。
練習は幾度もしたが、恐怖と不安に加え、本番の緊張が上乗せされると、波音の頭の中はほぼ真っ白になっていた。