クールな御曹司の本性は、溺甘オオカミでした
「千石孝太郎です。本日よりよろしくお願いします」

彼は低く涼やかな声で言い、深く頭を下げた。
間違いない。声だって一緒だ。私は忘れていない。

「え~ご存じのとおり、千石くんは社長のご子息だ。でも、皆特別扱いはせず……」

井戸川課長の説明の間、彼はぐるりとオフィスを見回している。ひとりひとりの顔を視界に入れて行く。その過程で、ぴたりと動きが止まる。私を……彼もまた見つけたのだ。そして視線がそらせなくなってしまった私は、呆然と彼の顔を見つめ続けていた。

彼はわずかに瞳を大きくし、それから、元のさわやかな微笑に戻り、何事もなかったかのように職場の面々に視線を巡らせる。私と彼以外は、この一瞬の異変に気づきもしなかっただろう。

まずい。彼の視線が外れてから、私はようやく気づいた。
まずい。こんなところで再会するなんて。そして、じっと見つめてはいけなかったのだ。あんなに見ていたら、私はここです、見つけてくださいと言ってるようなものじゃない。

彼は気づいていた。間違いなく私に気づいていた。
どうしよう。なにやってるのよ、私。

彼には感謝してる。でも、あれは完全プライベートでさらには一種特殊な状況下でのこと。会社みたいな現実の極みと重ねたいことじゃない。
会社の誰にも知られたくない。東京タワーでべそかいていたなんて。それなのに、こんな形で証人と再会してしまった。しかも、私は彼の教育係だ。

ひと通り挨拶が終わり、彼・千石孝太郎は私たち総務二課のデスクにやってきた。

「あらためまして、よろしくお願いします」

頭を下げる彼に、口々によろしくと声をかける課の面々。私は表情が引きつらないようにするので必死だ。
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