クールな御曹司の本性は、溺甘オオカミでした
「それはご足労をかけてしまいましたね、すみません。でも、千石くん」

私は言い直して、なるべく温和な笑顔を作る。『大人とはこう!』みたいな笑顔だ。

「どうか、あの日のことはあなたの御心にしまって、忘れてしまってください。取り乱したところを見せてしまい、私も恥ずかしいので。こうして、一緒にお仕事をする仲になったわけですし、ね」
「一緒に仕事を……ええ、俺はその点はラッキーだったと思っています。こうして真純さんに再会できた」

私の精一杯の大人の対応を打ち消さんばかりに千石くんは詰め寄ってくる。
近い。長い睫毛が数えられるくらいの距離に私は動揺し、目を伏せた。

廊下でこんなやりとりをしているのが気まずく、誰が通りかかるかと不安で、うろうろと視線ばかりがさまよう。早くこの会話を終わらせたい。

「千石くん」

少しだけ語気を強めて言った。

「会社で、プライベートな話をするのは好きではないんです。私は……あなたに色々教える役目です。これ以上はよしましょう」

千石くんは、アーモンドのような瞳をちょっと大きくして、数瞬黙った。
沈黙は気まずいと思う間もないほどわずかな時間。彼の瞳は、すぐにふっと穏やかな色へ変わった。

「はい、わかりました。失礼しました。真純さん、一からよろしくお願いします」

頭を下げた彼は、もうすっかり何もかも心得たもので、それ以上私に近づいてくることはなかった。
真純さん、と名前を呼ばれるのだけがちょっと引っかかった。



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