クールな御曹司の本性は、溺甘オオカミでした
「ありがとう。当日の進行……といっても始めと終わりのひと言なんだけど、それはうちの野口課長がやるから」

ふと、見るとすぐ近くに彼の手があった。なんのことはない。真剣に私の話を聞いている千石くんが、右手を私のデスクの縁にかけているだけだ。
ほんの数センチの接近。こんなことが気になるなんて、自意識過剰。

「真純さん」

名前を呼ばれ、わずかに肩を揺らしたのは、彼の手の甲をじっと見つめてしまっていたからだ。私の内心の焦りには気づかず、千石くんは言った。

「真純さんは本当に総務二課のありとあらゆる仕事を知っているんですね。俺は、いい先輩に恵まれたなと思っています」

なんの裏もなさそうな褒め言葉に、私は勝手に焦って目をそらした。

「そんなに褒める要素ないですよ」

焦り過ぎて敬語になってしまう。千石くんは柔らかく目を細め、続ける。

「あります。謙遜しないで。野口課長の補佐として課長並に働いてるじゃないですか。法務の分野なんてかなり勉強されたんじゃないですか?」
「企業弁護士の方が親切だから、私は何もしてないわ」
「そういう謙虚な姿勢、見習いたいです」

熱心な褒め言葉に戸惑いつつ私は席を立った。

「それじゃあ、あとはよろしく。私はこれから野口課長と外出なので」
「はい、お疲れ様です」

彼はナチュラルに微笑んだ。善良を絵に描いたような男子だ。

こうして、接しているとあの東京タワーの夕暮れ時が本当に夢か幻みたい。……なんて、いちいち思いだしている私って駄目だなぁ。

まあいい。いずれ、私はあの日のことを後輩の千石くんと切り離して考えられるようになるだろう。
あの日はそういう種類の思い出だから。


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