凶愛
1 ある男の憂鬱
桜目は、不意に、背筋を走る悪寒に身を震わせた。
「誰だ。あれは……。」
桜の花々を揺らすそよ風を受けて、靡く長い髪。
そして、円やかな線を描く輪郭の中でも一際目を引き寄せられる淡い色の唇が、ゆるりと弧を描いていた。
先ほどまで桜を見上げていた彼女が、此方を振り向く姿が、まるでスローモーションのように見えた。
苺よりも尚赤い瞳が、彼を捉えた。
「桜目さん。お久しぶりですね。」
「え、あの、お嬢様。いつお戻りに……なられたのですか?」
駆け寄って来るとは思ってもみなかった桜目は、ずり下がった眼鏡を直しつつ、問い掛けた。
途端に、ふふ、と笑みを零した少女に、彼は反射的に後退っていた。
生き返った死人でも見たかのような顔をして青褪め出した彼にとっては、どれほど少女が美しくとも関係はないようだった。
寧ろ、少女を見ているそれは、怪物を見ている人間の目と同じ目をしていた。
「つい先日ですよ。」
首を傾げた彼女が、はたと、手を合わせると「あ、そうだ。」と空を見上げてから、再び目の前の桜目に視線を戻した。
「私の話しなら、粟生乃木さんがよく知ってるそうなので、詳しく聞きたかったら彼に聞いてみて下さい。それじゃあ、また今度会いましょう。」
「は、はぁ。」