ハーモニーのために
クラリシアの国
気が付くと、私は見知らぬ世界に一人突っ立っていた。道はレンガが敷き詰められ、わきには店がぎっしりと並んでいた。しかし、決定的に町は何か足りなかった。まるで新聞紙の中に飛び込んだよううだった。または、1900年前半のテレビの中に入り込んだようだ。この世界は、すべてが白黒なのだ。アンティークの店や、飲食店が並ぶ道を歩いたが、何を見てもすべてが白黒映画のようだ。空は灰色の一面になっており、何一つ色を持ったものがなかった。私は奇妙に思いながらも、道を進んでいった。町から色が吸い取られてしまったようだ。どの店もまっすぐと道に沿って立ち、生きている気配がしなかった。色がないだけでこんなに違和感があるのだと、初めて思った。

しばらく進んでみると、道の向こうから誰かが歩いてくるのが見えた。この不思議な世界に迷い込んでから初めて見た人間なので、私は興奮のあまり、その人に向かって急いで接近した。やっと何かがわかるような気がしたのだ。しかし、その人の顔が見えるぐらいの位置まで来たとき、私はその人も白黒だということに気付いた。そのうえ、その人はまるで獣か何か恐ろしいものを見たように目をむき出し、恐怖を顔にあらわにした。そのあと、私の前に膝をつき、土下座をしたまま動かなくなってしまったのだ。

「何をしているのですか。」

私は恐る恐る声をかけてみた。しかし、その人は何も言わず、ただ顔を下げたままだった。身なりは白黒だったが、薄汚れていて、きっちりしているとは言い難かった。

「あのう、顔を上げてください。何をしているのか教えてください。」

そういうと、その薄汚れた男は、ゆっくりと顔を上げた。目にはまだ疑惑の色があったが、私の言葉を聞いて安心したのか、口をやっと開いてくれた。

「貴方様はこんなみすぼらしいところで何をやっていらっしゃるのでしょうか。早く女王様の元へいらっしゃらないと、恐ろしきことが…」

わけのわからないことを言った後、その人は私のことを心配した目で見つめた。

「はぁ…。女王様にあわねばいけないのでしょうか。私はここがどこだかわかっていません。」
私はこの場所は王政の国なのかな、と考えた。

「貴方様は色をお持ちだ。相当なご身分でしょう。これから演奏会があります。急がないと、女王様はお怒りになりますよ!早く、私が馬車を用意いたします。」

真剣な目つきで言葉をまくしたてた後、薄汚れた男はその場を去ってしまった。なぜ急に焦りだしたのだろう。色を持っている、ということはどういうことなのだろうか。私は自分の手のひらを見てみた。健康的な肌色に、青緑色の血管が何本か透けて見えた。服はいつも着るカーキ色のジャージのようなものだ。これは職業上必ず着なければいけない。この服を見て、どこが身分の高いものに見えるのだろうか。確かに男の身なりよりはましだろうが、それでも私は元の世界ではかなり身分の低い役職についている。それとも、外来者は必ず女王に会いに行けばいけないというルールでもあるのか。私はわかりもしないことを悶々と考え、男が現れるのを待った。

「こちらです。どうぞ、お急ぎになって!」

焦った声が背後から聞こえた。振り返ってみると、そこにはやはり色の抜けた馬が引いている馬車があった。馬車というよりは、木のかごに馬が取り付けられている簡易なものだった。私は言われた通りにその馬車に乗り込んだ。

この町の景色は実に面白いものだった。モノクロトーンの商店街を抜けたら、歴史の教科書で見たようなヨーロッパ風の家々が並んだ住宅街へと変わっていった。滑らかな曲線としっかりとした直線が入り混じった建物が次々と姿を現し、さまざまな影を作り出していた。その美しさに、私は目を奪われた。そのとき、私は自分の目を見張った。そのまっすぐの道を進んでいくたびに、少しずつだが、色が現れているようだった。空はかすかに赤みを帯び、町はほんの少しだけセピア色になっていた。まるで私たちは時空を超えているようだった。

「なぜここには色があるのですか。」

私はその男に不思議がって聞いてみた。すると、薄汚れた男は困惑した表情で私を見た。

「ここは平民の地です。一部の平民は演奏を許可されていて、色を持つものもいます。私たち奴隷には関係のないことですが。」

男は平民やら奴隷やら、聞きなれない言葉を連発した。男は奴隷だからみすぼらしい恰好をしているのだろうか。演奏やら色やらとはどういうことなのか。この国の概念が全く分からないまま、馬車はレンガの道を進んでいった。しばらく馬車がデコボコの多いレンガ道を過ぎると、走りやすい砂利道に変化した。周りを見てみると、住宅地は消え、大きな黒い門を馬車が通った。あたり一面森のような場所に入った。そこには完全に色が戻っている私が見慣れた世界だった。木々は青く生い茂り、芝生がきれいに整っていた。まわりを見渡すと、金銀に装飾された美しいお城のような建物がところどころ、木々の間からこちらをうかがっていた。かすかだが、奥のほうに巨大な白いお城が立っているのが見えた。私が首を伸ばしてそのお城を見ようとしたとき、馬車は急につんのめって止まった。頭が一瞬前に出て、勢いよく私は馬車の背もたれに追突した。馬が鼻を鳴らす音と同時に、別の声が聞こえた。

「おまえ、ここで何をしている。奴隷は立ち入り禁止だぞ。」

外を見ると、そこには中世の騎士を想像させる、銀の鎧をきた男が槍を手に持って話しかけていた。奴隷は騎士に深いお辞儀をし、馬車のほうを指差した。

「こちらの方を王宮にお届けにまいりました。」

すると、騎士は私のことを見て、つまらなさそうに鼻を鳴らした。

「演奏会は始まっています。急いでください。」

仕方がないので私は箱の中から急いで降りて、さっそうと歩く騎士の後ろを追った。騎士が歩くたびに金属音が静かな庭園に響いた。しばらく歩いていくと、金銀の建物は見えなくなり、噴水が姿を現した。その目の前に、巨大な白いお城がそびえたっていた。そこは見事に線対称の地であった。左右両方とも同じだけの木の本数があり、全く同じ銅像がこちらを見ていた。私が驚いて口を半開きにしていると、騎士が自分の五倍はある大きさの金属のドアを開けて手招きをしていた。私はその庭園を振り返りながらその巨大なドアを通って行った。

「わぁっ!」

あまりの内装の美しさに、私は気を取られて思わず大きな声を出してしまった。騎士が驚いた顔をし、人差し指を口元にあてた。私は自分の軽率さに顔を赤くし、口を手でふさいだ。その城の中は、まさに白と黒という色の最大限の魅力を引き出していた。タイルは黒い大理石と白い大理石が交互に入り、チェックボードのようになっていた。天井に伸びる柱は黒い渦巻と白い渦巻が絡み合うように立っていた。そして城の内壁は曲線と直線を器用に使った複雑な幾何学模様が施されていた。床を覗いてみると、すべての大理石が美しく磨かれていた。汚れ一つない、純白の大理石と漆黒の大理石が私の顔を反射した。

こちらを覗いている顔は薄汚れていた。結んだ二つの髪の束からはいうことを聞かない髪の毛が好き放題に出っ張っていた。表情は能面のようで、目には光が宿っていない。口は筋肉が衰えてしまったのか、顔にぶら下がっているように見えた。これが自分の姿だと認識するまでに時間がかかった。なぜこんな姿になってしまったのだろう。床に目が釘付けになっていたら、背後から声がした。

「何をしているの。」

< 2 / 12 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop