覚悟はいいですか
「薫ちゃん、今日もキレイじゃのう!」
何人目かのゲストとの挨拶が終わってすぐ、よく響く大きな声にはじかれるようにして頭をあげる
「御前!よくお越しくださいました。
お元気そうでなによりです」
「ハッハッハ!まだまだ現役バリバリじゃぞ。どうじゃ、この後デートせんか?」
軽いノリの会話が交わされるが、周りの空気は一気に緊張で張りつめる
御前(ごぜん)と呼ばれるこのチャラい老人は、日本の経済界の影のドンと言われる徳永光右衛門(とくなが みつえもん)氏。きれいな女性を見ればイタリア男性並みに口説いて回るが、実は政界にも太いパイプを持つと言われている。彼の機嫌を損ねた会社はこの国で生き残れないとも噂される人物だ
確かもう90歳近いはずだが、矍鑠としている。細身の体にベージュ系のお召とグレーの縞袴、紫紺の羽織を着こなす姿はおしゃれな上に圧倒的な貫禄だ
このナンパが無ければ、の話だが…
「や、ややや?」
ん?こっち見てる?
「これはこれは、君は紫織ちゃんじゃないか!色っぽい格好じゃからすぐに判らんかった」
わ、わたしと分かった!?いけない、ご挨拶しなきゃ!
「そうかそうか、やっと表に出てこれるようになったか」
「ご無沙汰しております。覚えていてくださったなんて光栄です。
その節はお世話になりました」
「ハッハッハッ!美人は忘れんよ。よし、出所祝いにパーッと呑みに行こう!」
刑務所には入ってませんから!
「御前、出所なんて物騒ですわ。彼女は犯罪者ではありません」
会長がコロコロと笑いながら訂正してくれる
「おお~そうじゃった!お詫びにご飯おごってやる」
でもやっぱりナンパはするのね(笑)
だからあまり恐いとは思わないんだけど、
今は仕事中です!
「まだ仕事がございますので、日を改めて」
「なんじゃ!薫ちゃんといい、つれないのお~」
両腕で胸寄せポーズしながら腰をクネクネさせている目の前の老人は、ホントに経済界のドンなのか?我が目を疑ってしまう
2年前までは織部会長について食事などご一緒させてもらったこともあり、個人的にもお世話になったことがある
でも今日の私は眼鏡を外し、派手なメイクをして、普段の私を知る男性社員は派遣のコンパニオンかなんかと思っているくらいなのに、御前はすぐ見破ってしまった
やはりその眼は只者ではないというところか…
「しょうがない。また今度遊びに来るぞい」
仕事じゃないのか!と突っ込みたいのを抑え、最上級の営業スマイルでお見送りする
「「はい。お待ちしております」」
麗奈と共に丁寧にお辞儀をすると、うんうんと好好爺の顔をして頷く
「またの~」
振り向き様、投げキッスを寄越して去っていった…