覚悟はいいですか
「ごきげんよう、紫織さん」
目指す控室の手前まで来た時、後ろからかけられた声に、ザアッと音をたてて血の気が引くのが自分でも分かった
途端に背中を冷たい汗が流れ、体が強張る
「まさか貴女がいらっしゃるとは。急に父の代理で出席を命じられ、仕方なく参加しましたが……災い転じて、と言ったところでしょうか」
にこやかに話しながらさらに距離を詰められる
逃げなきゃと思うのに!あ、足が動いてくれない!!
怖くて、目に涙がうかんできた
「おや、震えているようだ。どうされました?」
そう言いながらその男ーー堂嶋公彦(どうじま きみひこ)は、獲物を凝視するような眼で口だけは笑ったまま、私へと手を伸ばしてくる
嫌だ、触れられたくない!
誰か助けて!麗奈!!
しかし誰もこちらに来る気配もなく、堂嶋の手がついに頬に触れる
もうダメだ……
これ以上ないほど口角を引き上げた顔が悪魔のように見えて絶望に気を失いそうになる
ああ、捕まる!と目をギュっと閉じた時、力強い手が私の腕を引いて堂嶋から遠ざける
大好きな甘くないスパイシーな香りが近づいて、耳に優しい彼の人の声が囁く
「紫織、もう大丈夫だよ。俺に任せて」
礼!?なぜここに?
信じられない思いで彼を見上げる
「だ、誰だ!君は!」
堂嶋が狼狽した声で叫ぶ
礼は私を背後に庇うようにしてスッと立つと、初めて見る完璧なビジネスマンの姿で堂嶋と向き合った
「初めまして。海棠と申します」
「か、海棠!?まさか海棠グループの……」
「はい、代表の海棠仁(かいどう ひろし)は父です。私は次男の礼と言います。お見知りおきを、堂嶋公彦さん?」
完璧な王子様スマイルで話しているが、声は冷たく固い響きで、逆に怖い。対する堂嶋は完全に礼の迫力にのまれてしまっている
それでもなんとかプライドを保ちたいのか、うわずった声で話し出した
「わ、私を知っているなら話は早い。今、そちらのお嬢さんと大切な話の最中だ。邪魔しないでもらおう」
「話すことなんてありません!」
礼の後ろからなんとか反論する
「そんなこと言わないで。僕たちは婚約者じゃないか」