シンデレラと野獣
有村優香は幼い頃、母親を事故で亡くした。不慮の事故だった。父は泣き崩れる優香を抱きしめて、一緒に泣いた。
「ママはお星様になったんだよ。これからは、優香のことを空から見守ってくれるからね」
本当に空から見守ってくれているのだろうか。見守るだけじゃなくて、ぬくもりが欲しいと何度も思ったが、空から見守っている母親、未だ感じられずにいる。
母親のことを忘れるかのように、父親はこれまで以上に仕事に没頭した。不動産の店を経営し、地域密着型で生活は豊かになっていった。
「優香は、ママのために勉強を頑張りなさい。パパは仕事を頑張るから」
当時の父親の口癖だった。母が亡くなって、父親が仕事で家を不在にしがちだったことが寂しくなかったはずはない。
一度だけ、大きな駄々をこねたことがあった。運動会に自分だけ誰も親がきていなかったのだ。小学二年生の女の子が、家族に囲まれた団欒の様子を見て、耐えきれるはずもなかった。
「みんな、家族がきてた。ママが生きていればよかったのに」
今から考えれば心ない言葉だった。父親を大きく傷つけたに違いない。
「ごめんな。優香」
謝る父親は、いつもより小さく見えた。
優香の言葉のせいなのか、翌年に父は恋人を作った。恋人とは言っていなかったが、父の雰囲気が柔らかくなった。一度だけ仲間の食事会に連れて行かれた時に恋人がいると分かった。母に向けていた目と同じ目を父はしていた。父はわかりやすいのだ。
同じように経営者仲間の女性だった。父の帰りが遅くなる日は、その女性と会っているのだと幼心に分かっていた。
学校の行事は、お手伝いの福田さんにお願いをしていた。父が不在がちなので、雇ったのだった。レトルト食品が多かった食生活から手料理に変わったことは嬉しかった。
今、優香が料理を作ることが出来るのは、福田さんが料理を教えてくれたおかげなのである。
優香と福田さんの相性はよかった。料理以外にも、裁縫や編み物など様々なことを教えてくれた。
福田さんが来たこと以外、状況は悪化する一方だった。これ以上悪くなりませんようにと、お星様の母に願ったのにも関わらず、優香の願いとは裏腹に今までの生活は破綻していくばかりだったた。
その翌年、父は再婚を決めた。優香の許可など、なく勝手に決めた。彼女らが引っ越しをしてくる前日に、優香の部屋は一人部屋から二人部屋となったのだ。
物置化していた母の部屋には、真新しい家具が置かれた。
福田さんは解雇された。継母が嫌がったのだ。涙の別れの後、福田さんは「何かあったらここに連絡してくださいね」と自分の連絡先を書いた紙をこっそり渡してくれた。
継母である種田まき、もとい、有村まきとは最初からウマが合わなかったように思える。
しかし、父の手前「嫌だ!」と優香が言えるはずもなかった。
継母には、一人のありさという娘がいた。
「ねえ、なんで私が、こんな子と二人部屋なの?」
それは、優香の台詞だった。今まで優香だけの部屋だったのだ。それを、勝手に引っ越して来て、突然文句を言われたところで心外でしかなかった。
まきは、なるべく近寄らなければ関わることがなかったが、ありさはそうもいかなかった。
彼女と優香もウマが合わなかった。母の形見を壊したり、福田さんが教えてくれた編み物の編み図に水をこぼしたりしたので、優香は分かりやすい挑発に乗ってしまった。最初は喧嘩をしていたものの、最終的に優香が悪くなることばかりだったので戦うことをやめた。大事なものは、全て屋根裏の奥に隠した。
あまりの不憫さに、父親は二週間に一回、優香と一緒に出かける日を作ってくれた。優香は、その時間が大好きだった。一緒に美術館に行ったり、水族館に行ったり、流行のスイーツを食べに行ったりした。
小学校高学年になると、ありさは塾に通い始めた。私立の中学に行くためだと言うのだ。
「学費がかかるのよ。昭彦さん。優香ちゃんは優秀だし、公立に行かせましょう。きっとこの子はどこの学校に行ってもいい大学に行けるわよ。でも、うちのありさちゃんは、コネクションを作らせないと」
まきは、どうやら優香とありさに差をつけたがったようだった。東京では、中学校で私立に行くことは一種のステイタスなのだ。
「姉妹で差をつけるのは、かわいそうだ。優香に聞いてみないと」
その頃になると、父は優香の味方をすることも増えていた。洋服もなるべくありさと差がでないように父が買ってくれた。
「優香ちゃんが塾に行ったら、ありさの個別指導塾代が出ないわ。高いのよ、個別って。さっきも言ったけど、優香ちゃんなら国立大学狙えるわよ。優秀だもの」
結局、ありさは私立の中学に行き、優香は公立の中学に進んだ。別に文句は出なかった。ありさが塾に行っている間は、部屋を一人で堪能できたし、成績の結果で叱られているのを見ていると中学受験をするメリットは見受けられなかった。
ありさが勉強に集中できないと言うので、部屋は父親と一緒になった。年頃の娘と同じ部屋は優香が嫌がるだろうと父親は遠慮していたものの、ありさと同じ部屋にいるくらいならと優香は喜んでその提案を受け入れた。
父が脳梗塞で亡くなったのは、優香が高校二年生の時だった。
母親と同様、父親との別れも突然だった。
母の時と同じように今度は泣いている場合ではなかった。まきから突然呼び出され、大学には行かずに不動産の経営を手伝って欲しいと言われたのだった。
「国立大学も、模試の判定はAなのに……」
「大学を出るのは、いい就職先を見つけるためでしょう。優香さんならあるじゃない。大学は経営が落ち着いたら行ってちょうだい。この一年、私は血も繋がっていないあなたの面倒を見るの。正直、自分の会社とあなたのお父さんの会社の両方の経営をしなくちゃいけないのでいっぱいいっぱいなのに、ありさの他にあなたの面倒まで見れないわ」
まきの言葉に言い返せる言葉はなかった。いくら頭がいいと言っても、高校生であるまきに父が経営していた会社の後始末ができるはずもなかった。継母であるまきに、自分はどうしても大学に行きたいなども言えるはずもなかった。奨学金をもらって、アルバイト三昧の生活をするのも手段としてあったが、父親が必死に作り上げた会社がまきの手中に落ちてしまうのも嫌だった。
「わかりました」
絶対に「YES」と言ってはいけなかったのにも関わらず、父親が亡くなり、茫然自失の状態のまま、まともな判断などできるはずもなかった。
継母の行動は早かった。優香に一人暮らしのアパートを契約させ、高校卒業と同時に父の経営していた不動産に就職させた。
無理にでも家を飛び出して、大学に行けばよかったと後悔した時には、もう遅かった。