冷徹皇太子の溺愛からは逃げられない
 フィラーナは歩みを止めると、テレンスの腕からさりげなく逃れ、再び深く礼をした。

「いえ、このまま来た道を戻ります。お気遣い、ありがとうございまいした」

「……助けたのに、それだけで終わりとは、寂しいものですね」

 テレンスは急にフィラーナの手を引っ張ると、再び腰に手を這わせ、強引に抱き寄せた。

「な、何ですか……!」

「特別に礼のひとつでも、いただきたいものですね。例えば、あなたのその可愛らしい唇とか」

 テレンスは態度を一変させ、その瞳に欲情の色を浮かべた。フィラーナは顔を背け、身体を離そうと腕を精一杯突っ張ってみせる。

「殿下は、助けた女性にいつもこのようなことを……⁉」

「まさか。もっと段階を踏みますよ。でも、今は違う。ウォルフレッドは朝から城出ていて不在だ。……胸糞悪いあの男のお気に入りの女を好きにできる機会を、やすやすと逃すとでも思っているのか」

「なっ……!」

「恨むなら、あの死に損ないを恨め」

 テレンスは弄ぶように、フィラーナの耳に、ふぅっ、と息を吹きかけた。

「何するんですか……!」

 怒りと軽蔑で、フィラーナの瞳が思い切り見開かれる。

 難癖をつけられてドレスは破かれ、盗人に間違えられ、見境のない好色漢に狙われ、まるで今日は厄日だ。

(私は今、ものすごく虫の居所が悪いのよっ……!)

 フィラーナは力の限り、かつ容赦なく、テレンスのすねを蹴飛ばした。

「くぅっ……!!」

 想定外の反撃を受け、テレンスは激痛に顔をしかめながら、負傷部分を抑えてしゃがみ込む。身体が自由になり、フィラーナは一目散に走り出した。

「お前、このままじゃ済まさんぞ……! だ、誰か、あの女を捕らえろ……! 必ず私の前に引きずり出せ!!」

 悲鳴のようなテレンスの叫びに、背後で衛兵の靴音が集結する気配がした。今度捕まれば助けの来ない部屋に連れ込まれ、悲惨な結末が待っているだろう。

 フィラーナは必死に走り続けた。
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