冷徹皇太子の溺愛からは逃げられない
「背中から落としたから頭は打っていない。じきに動けるようになるが、今すぐには無理だろう。しばらくそこでそうしていろ」

 ウォルは低く呻くことしか出来ない男を見下ろしたまま冷ややかな口調で言うと、視線を上げた。さらに群衆が増え、「すごいな」「一瞬すぎてわからなかったぞ」といった声があちらこちらから上がる。娘も突然の出来事に呆然としたように大きな瞳を見開いて、ウォルの顔を見上げている。

 双方の視線が絡み合う。

 先ほどまでの娘の瞳には強い光が窺えたが、今は緊張から解放され安堵したような柔らかい眼差しに変わっている。

(気が強いだけの娘だと思っていたが、きっとこっちが本来の表情なのだろうな……)

 ウォルはそう思ったが、特に声を掛けることなく、娘に背を向けて歩き出した。娘が「あの……!」と呼び止める声にも振り返らない。人が集まってきた今、目立つことは避けたい。

 ユアンも群衆を掻き分け、ウォルのそばに駆け寄った。

「何をなさっているんですか! さっき申し上げたばかりでしょう!?」

「……すまん」

「人を投げるなど、そういった行いは慎んでください……!」

「丸腰相手に仕方ないだろう。それとも剣を振り回せば良かったのか?」

「はぁ……そうではなく公衆の面前なんですよ。あなたのお立場として申し上げているのです。……とにかく、ここを離れましょう」

 ふたりは足早に大通りの往来に紛れ込み、その場から立ち退いた。

 しばらく無言で歩いていたが、ウォルが静かに口を開き沈黙を破る。

「さっきからつけられている」

「えっ?」

「次の路地に入れ」

 ウォルは速度を上げると路地を右に曲がり、ユアンも急いでその後に続いた。さらに左の角を曲がると人通りのない道に出た。それでもふたり以外の誰かの足音が遅れて響いて聞こえてくる。ユアンの顔に緊張が走り、万が一に備えて外套の合わせの隙間から手を入れ、腰に帯びていた剣の柄を握った。

「ユアン、その必要はない」

 え?と聞きたそうなユアンの顔を横目に、ウォルは突然歩みを止めると後ろへ体の向きを変えた。

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