witch
しばらく神通家の中を探索していると、建物の上から何かが落ちるような大きな音がした。

私は衝動的に立ち上がる。
先程の音で心臓がばくばくと震えている。

「ごめんね、すずねちゃん。あの二人うるさくて」
時彦が頭の深く下げる。
私はこの光景を今日は何度見ただろう。

「時彦さん、ホントに気にしないでください。私は大丈夫ですから」
私は手を振り彼に語りかけた。
「それより、この音は何なんですか?」
私は大きな音を立てられた怒りよりも好奇心の方が大きかった。
この大きな音が何の音なのか。確かめたかった。

「ないとくんが…ケンカしているんだ…」
時彦は言葉につまりながらまた頭を下げた。
今度は謝罪じゃない。
私が覗きこんだ時彦の顔の目には涙が滲んでいる。


「ケンカ…」
ないとがケンカとか考えられなかった。
ケンカはごめんだとでも言いそうな性格だと思っていたのに。
私の第一印象は結構当たらないのかも知れない。
悪い予感は例外だけど。

「ちょっとあの二人止めてくるね」
時彦は笑って出口へと向かう。
その顔は上手く笑えていなかった。

「もういい!!」
二階から一際大きい声が聞こえた。
階段を大きな足音をたてて誰かが降りてくる。

私は怖くて足が動かなかった。
ないとだったらどうすればよいのか分からなくなる。
彼の顔を見て思い出したら?今日の倉庫での出来事を。
冷静でいられるの?泣き出してしまったら?
そんな事を考えていると頭の中にあの出来事が浮かんでくる。

化け物は死ねない。永遠に生きる。
大切な人が死んでも、体が砕けても、飢えても、凍えても
何があっても体に痛みが残るだけ。
死ねば楽になるなんてことはないんだ。
やがて痛みに耐えきれず死にたくなる。
でも、そのときに叩きつけられる現実は不死身だという事実。永遠にこの世界に生きるだけ。
そう、死にたくても、寂しくても。


吐き気に襲われ急いでトイレに向かう。
足の力が抜けて上手く歩けなかった。

早く、早くトイレに。
行こうと思って足を動かしているのだけど、その足はまるでただの棒になってしまったように動かない。
どれだけ力を入れても足は言うことを聞かない。
いや、力が入っていないんだ。
足は動いても力が入ってないから歩けないんだ。

視界がぼやけていく。
喉の奥から何かが押し寄せてきた。
「おぇぇ」
私は口を手で押さえる。
口のなかに酸っぱい不愉快な味が広がった。
その味が更に吐き気を増長する。

もう、間に合わないかも知れない。
この手のなかにきっと吐いてしまう。
そう思い口の前に両手を構えたその時だった。

「大丈夫か??」
歪んだ視界に誰かの手が写った。
子供のような小さくて丸い手。
儚げな可愛い手が私の肩を抱き上げる。
見た目と違って逞しい力に私は安堵した。
「どっか悪いのか?」
心配そうな優しい声が私に降ってくる。
救世主の登場で吐き気も少しだけ治まった。
「ありがとうございます。大丈夫です」
自分でも少し無理をしている感じがあった。
でも、なんとなくだけどもう治りそうな気がした。
だから、大丈夫。
よろけながらも立ち上がり振り返ると、そこには白瑠璃が立っていた。
白瑠璃はまだ心配そうな顔をしているが微笑みを浮かべていた。
「よかった」
白瑠璃はそれだけ言うと、さっきまで私がいた大広間に向かっていった。
さっきの手、白瑠璃さんだったんだ。
彼女の手を見る。
そこにはあの、儚げな可愛い手があった。


「みんな、大広間に集まってくれ!」
時彦の声で私は我にかえる。
知らないうちに大広間には人がたくさん集まってきていた。

「みんな、聞いてくれ」
時彦さんの声で皆が静まり返る。
ここにいる全員が時彦さんに注目していた。

「こまりと言う女の子が化け物と契約して行方をくらませてしまった。しかも、彼女はないとくんの命を狙っている。それは何としてでも止めねばならない。みんな協力してくれるか?」
時彦さんの必死の問いかけにみんなが頷いた。
たった一人を除いては…。

「俺のことなんか、殺してくれよ」
静かな空間にたった一つの男の声が響いた。
ないとが立ち上がり時彦さんに歩み寄る。
「ないとくん、何でそんなに君は…」
時彦さんは言葉を詰まらせた。
ないとと目を合わせたまま黙り混む。
そんな時彦さんの目には涙が滲んでいた。

「俺はもう、死んでもいいんだ。生きていたっていいことなんかない。だから、俺のために戦うのはやめてくれ」
ないとは時彦さんに深く頭を下げた。
頼む、とでも言いたいのだろうか。
きっとそうに違いない。

その時は私も殺してもらおうか?
いや、まだ先でいいか。
まだ人生楽しいし、大切な人も生きているし。
そうだ、まだ生きていていいんだ。
死ぬのはもう少し先にしよう。

こう考えている自分が恐ろしかった。
ちょっと前まではちゃんと生きていたいと思っていた。
いつ死のうかなんて考えもしなかった。
化け物という真実に自分が狂わされているのが分かった。



「顔をあげなさい、ないとくん」
時彦さんの固い声が私を我に返した。
ないとがゆっくり頭をあげる。
「君が死んだらどれだけの人が悲しむと思っているんだ。私だって悲しむし、長野先生だって。いいか、死ぬことはいけないことだ。残った人を悲しませるからね」
時彦さんの目から一筋の涙がこぼれた。
ないとの表情は私からは見えない。


「ねぇ、まだ?いつまで待たせる気?」
重苦しい空気を割るように響いた甲高い声。
その声は私の背後、つまりこの大広間の入り口から聞こえた。

「あ、ごめんね粉雪ちゃん。ついつい真剣になっちゃったよ」
時彦さんがまだ涙の乾かない顔で笑った。
ないとは立ったままで動かない。
粉雪と呼ばれた女の人は時彦さんに駆け寄る。
腰辺りにまで伸びた焦げ茶の髪がきれいだ。

粉雪は時彦さんの隣に立つと私たちの方に向かって微笑んだ。
「こんにちは!粉雪です。時彦さんにこまりちゃん救出をお願いされたから来たんだ!」
粉雪は軽快な挨拶をした。
重かった空気が一気に明るくなり少し気が楽になった。

「んじゃ、粉雪ちゃんに協力をお願いします!」
時彦さんはいつもの優しい笑顔で粉雪に軽く頭を下げた。
粉雪は私を見つめた。
その顔が意味ありげに少し笑った気がした。
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