凛々しく、可憐な許婚
咲夜はこの8年間、尊と再会していた覚えはない。

尊の友人の雅臣から尊の話題が出ることはなかったし、咲夜から尋ねることもなかった。

もちろん、咲夜の祖父も父も、もちろん学園長も尊の話は一切しなかったはずだ。

それに、弓道場や学校で尊と会った覚えはない。

「君が大学に通っている間は、実家にいたよね。その間のことは、お祖父様やお義父様から情報をもらっていた。咲夜にしつこく付きまとう変な先輩がいたと思うけど、あの件は俺が対応したんだ」

尊は笑っているが、咲夜にとってはあまり思い出したい話ではない。

「あいつは、大手証券会社のCEOの息子で君の婚約者候補の一人だった。俺が仮にだけど正式な許婚に選ばれたから、あいつは早々に許婚候補から外された。一度は咲夜のことを諦めたらしいけど、君と同じ大学になってからは思いが再燃したらしく、あのストーカー行為に繋がった」

その先輩の名前は、大河内康正。

咲夜が大学一年生の頃に、同じ学部ということで顔見知りになった。

しばらく経ってから、どこで咲夜の連絡先を知ったのかSNSアプリを使って毎日メッセージを送りつけてくるようになった。

受信拒否をすると、今度は教室の前で待ち伏せされ

『結婚を前提として付き合ってほしい』

と、しつこく絡んでくるようになった。

自宅には贈り物やラブレターが届き、咲夜が弓道やカルタの大会に出ると必ず応援にくるようになった。

『お付き合いをするつもりはない』

とはっきり断っても、その行為はおさまることがなかった。

帰宅途中に、いきなりビルの隙間から現れて抱きつかれてからは、自分で解決することはもはや困難と悟って、父と祖父に相談したのだ。

「お祖父様は、そこでも俺を試そうとした。咲夜に知られることなくこの件を解決してみろと言われたんだ」

咲夜は驚いて尊を見つめた。

「幸いにも、俺の親戚に警視庁に勤める従兄弟と弁護士をしている叔父がいたんだ。彼らに頼んで、大河内の父親であるCEOをつついたら、息子を説得したのかあっさりと引き下がったよ」

あの頃の咲夜は、軽いノイローゼ状態で不登校気味となっていた。

咲夜は、祖父と両親に相談したから早期解決に繋がったと思っていたが、陰で尊が動いていてくれたなんて思いもよらなかった。

「尊くんのお陰だったんですね。私、何も知らなくて,,,。本当にありがとうございます。感謝してもしきれないです」

咲夜は涙目で尊に感謝の意を伝えた。

「こう言ったら不謹慎だけど、あいつのおかげで咲夜の男性を見る目が厳しくなったのは、俺にとっては嬉しい誤算だったんだよね」

尊が言っていることは確かに不謹慎かもしれないが、あの忌まわしいストーカー被害から救ってくれた事実は尊を信頼するに値する出来事であった。

祖父の言いつけを守り、決して表に出てくることなくひっそりと事件を解決してくれた。

その事実が、咲夜の中に残っていた猜疑心を溶かしていく結果に繋がったのだった。


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