エリート弁護士と婚前同居いたします
勤務先が入るビルを出て、見上げた空には夜の帳が降りていた。今夜は厚い雲に覆われていて明るい月も輝く星も見当たらない。まるで広い世界に放り出されたような孤独感を覚える。

「香月さん」

空をぼんやり眺めていた私の名前が不意に呼ばれた。 鈴の音のように澄んだ高い女性の声。この声には聞き覚えがあった。

ゆっくりと声がした方に顔を向ける。そこには昨日同様、隙のない完璧なスーツ姿の日高さんが立っていた。

群青に近い光沢のある細いプリーツスカートに同色の短めのジャケット。きちんと手入れされたベージュのパンプス。
五分袖のワッフルスリーブのトップスに黒のストレートパンツ、オープントゥパンプスの私とは対照的なきっちりとした姿。

「突然すみません。お仕事お疲れ様です。少しお話があるのですがよろしいですか?」
不躾でごめんなさい、と付け加えながらも有無を言わさない口調で彼女は言う。微笑んでいるのに長い睫毛に縁取られた瞳は寒々としている。
私は黙って頷く。

「いきなり訪ねてきてしまって、ごめんなさい」
ほんの少し眉尻を下げて、私の向かい側に腰を下ろした日高さんが頭を軽く下げた。
「あ、いえ。大丈夫です」
職場の前の道で話し込むには人目につきすぎるので、私は彼女を近くのカフェに案内した。ここは朔くんに初めて話しかけられた場所だ。

店内にはまばらに人がいて、あの日のように混雑はしていない。窓際の一番目立ちにくい席にすわり、お互いにストレートのアイスティーを注文した。
至近距離で見ても日高さんはとても美人だ。顔の造作ひとつひとつに華がある。

「あの、どうして私の勤務先をご存じなのでしょう?」
重い空気に耐えかねて私はおずおずと口にした。日高さんはニコリともせず言う。
「香月さんの勤務先がかかりつけになっている同僚がいるんです。彼女が受付にいるあなたのお名前と顔を記憶していたので」

それは私と話すために調べたということなのだろうか。
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