エリート弁護士と婚前同居いたします
「茜」

ほんの少しだけ薄まった怒気を身に纏いながら、彼が私の名前を呼んだ。
「……無事で良かった」
そう言って彼は私の右腕をつかむ。
「ひとりで泣くな」

感情を消した声で言って、彼が私の赤くなった目の周りを長い指でそっと撫でた。声とは裏腹に私に触れる指の優しさと温かさに涙が滲む。
不安と心細さ、愛しさ。様々な感情が入り混じって何がなんだかわからなくなる。彼の心遣いが嬉しいはずなのになぜか悔しい。

「わ、私は悪くないから!」
癇癪を起こした子どものように突然叫んだ私を、彼は綺麗なチョコレート色の瞳でじっと見据える。
「茜」
つかまれた右腕を振りほどこうとすると、彼は私を自分の胸に引き寄せた。

「俺から離れるのは、絶対に許さない。それだけは耐えられない」
口調は乱暴で傲慢なのに、私の髪を撫でる手はどこまでも優しい。押しつけられた彼の胸からは速い鼓動が聞こえる。高い体温に汗の匂い。それだけで、この人が本当に心配してくれていたことが嫌というほどわかる。

「朔、くん」
彼の態度に少しずつ頭が冷えていく。いつまでも意地を張っている私は本当に大人気ない。ばつの悪さを感じつつ、彼の名前を呼ぶ。
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