エリート弁護士と婚前同居いたします
「あ、あの、荷物持ちます。ありがとうございました」

 とにかくここから逃げ出したい。居心地が悪い。彼から離れたい。
 どうして彼がここにいるのか、そんなことはもうどうでもよくなっていた。ただ、この気まずさから解放されたかった。

 握られたままの手を離そうとすると逆に力を込められ、大きな手でギュッと握られてしまう。
「なんで離す?」
 買物袋と繋がれた手に視線を向けていた私の頭上から上尾さんの拗ねたような声が響く。

「え、だって荷物」
 うつむいたまま言う私。その間も必死で手をほどこうとするけれど、ふりほどけない。彼は細身なのにさすが男性。力の差が歴然としている。
「持つって言った。なんで手を離そうとする? 嫌なのか?」
 もう一度尋ねられた。
「い、嫌とかそういうんじゃなくて、その、手を繋ぐ理由がないです」
 下をむいたまま答える私にイラ立ったのか、彼は私の苗字を呼び捨てにした。

「香月、こっち向いて」
「なんでですか」
 素直じゃない私は理由を聞き返す。
「本当、素直じゃないな」
 彼の呆れたような声が聞こえる。
「上尾さんに言われたくないです」
 その言葉に反抗するように顔を上げると、驚くほど優しい彼の目が私をじっと見つめていた。焦げ茶色の瞳が真っ直ぐに私を射抜く。

「でもそこが可愛い。だから俺はお前と手を繋ぎたい」
 ドクンドクンドクン。
 鼓動が暴れ出す。言われた言葉が信じられずに瞠目する。

 ……何を言っているの? こんなのおかしい。今日、数時間前に会ったばかりの人なのに。
 身体中の血液が一気に顔に集中したかのようにのぼせそうになる。衝撃に答えられず固まる私にふっと、魅惑的な笑みをこぼす上尾さん。

「わかったら、帰るぞ」
 そう言って彼は呆然とする私の手をがっちり繋いだまま、歩き出す。
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